正確無比なシュート力が強みで、NCAAのネブラカス大学でプレーし2023年のワールドカップではチームを勝利へと牽引してきたバスケットボール選手の富永啓之選手。
富永啓之選手の強さの秘訣は、どうやらすばらしいDNAにもよるようです。
そこで今回は、富永啓之選手の両親について調べてみましたのでご紹介します!
題して、『富永啓之選手の父親も凄い選手だった!兄弟は妹が一人で両親の身長差が凄い!実家家族について』です。
ぜひ最後までお読みくださいね!
富永啓生選手の経歴
バスケ一家の中で育ったということと、元バスケットボール選手である父・富永啓之選手の影響で、富永啓之選手は幼少期からバスケを始めています。
小さい頃から大人用の重いボールと高いゴールで練習していたようです。
幼い頃から本気でやっていたんでしょうね。
中学生時代は、部活動以外にも愛知県春日井市にある「Always Jr.Basketball team」というチームに所属していたよです、
中学生時代の身長は160cm、中学選手としては小柄な方でしょうか。
しかも足が速い方ではなかったみたいです。
これだけ見ると、バスケット選手にとってのプラス要素が少ないですよね。
富永啓之選手は、彼の強みのシュート力に磨きをかけることで存在感を発揮しました。
その結果、チームに必要不可欠な選手へと成長したのです。
春日井市立岩成台中学校の部活動でも活動していました。
中学3年時には全国中学生大会で3位になったそうです。
かなりバスケ部は力を入れていたことがわかりますね!
衝撃なことに、富永啓之選手は中学生時代に愛知県選抜の選考に落ちていたみたいです。
そんな選手が、今はアメリカでNBA入りを狙えるとは素晴らしい成長だと思います。
悔しいという嫉妬心が富永啓之選手をより一層強くしたのだと思います。
高校は愛知県の桜丘高校に進学しています。
桜丘高校は中高一貫でキリスト教の私立高校です。
バスケに関しては全国大会の常連校で、よく上位まで勝ち進んでいる強豪校ですね。
他の運動部も活動が活発だそうです。
富永啓生選手の高校時代の成績はこちら。
・2017年(2年生) U–16日本代表強化合宿参加
・2018年(3年生) ウインターカップ3位
・2018年(3年生) アジアU–18選手権日本代表
特に河村勇輝選手率いる福岡第一との、準決勝では前半だけで31得点するなど、まさに桁違いの得点能力を発揮していました。
富永啓之選手は2023年現在、アメリカのネブラスカ大学4年生として在学中です。
桜丘高校卒業後に渡米しました。
アメリカの大学に挑戦した富永啓生選手は、レンジャー・カレッジ(短大)へ入学した後、現在のネブラスカ大学へ編入しています。
富永啓生選手が渡米後始めに入学した大学は、レンジャー・カレッジ(短大)です。
2019–2020と2020–2021の2シーズンを、レンジャー・カレッジで過ごしています。
元々はNCAAの1部のチームからも誘いはあったようですが、学力の問題も考え、レンジャー・カレッジを選択しました。
英語でのコミュニケーションは必須ですし、アメリカは日本よりも学力が求められるため、ある程度の語学力取得まではレンジャー・カレッジでと考えたのかもしれません。
レンジャーは超田舎町で、コンビニのようなスーパーとレストランが一軒ずつある以外は、何もなく嫌でもバスケットに打ち込むしかないような場所だったそうです。
レンジャー・カレッジ入学後は、全米短大カテゴリーで3ポイント成功率、
3ポイント成功数でともにトップ20入りを果たすなど着実に実力を伸ばしていました。
そもそもネブラスカ大学は、バスケットボールではそこまで有名な大学ではありませんでした。
NBAでもプレーしていた、フレッド・ホイバーグヘッドコーチから短大後に2年しかプレー期間がない富永啓生選手を即戦力として歓迎されました。
初めはプレータイムこそそこまで多くなかったですが、ライバルがNBAドラフトにかかり出番が急増したことで、富永啓之選手の名前が知れ渡ることになったのです。
富永啓生選手の家族構成
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富永啓之選手の家族構成は以下の4人家族です。
父親:富永啓之
母親:富永ひとみ
富永啓之選手
妹:4歳年下
どうやらご家族全員がスポーツ経験者という、アスリートのサラブレッドとして生まれ育ったようです。
では、家族お一人ずつ、詳しく見ていきましょう。
富永啓生選手の父親はどんな人?
父親の富永啓之さんは、度々メディアにも登場することから、多くの人が最初に思う事は、
まさにアスリートになる為に生まれてきたような体格の持ち主ですが父親も、世界選手権にも出場経験のあるプロバスケットボールプレイヤーだったそうです。
気になる父親の身長は211㎝で、ポジションはその高さを生かしてセンターでした。
啓生選手も高身長ですが、さらに上回る高身長ですね。
詳しくキャリアを見ていきましょう。
父親の選手時代
戦術した通り、富永啓生選手の父・啓之さんは、かつては日本のバスケット界の日本代表としても活躍されていた選手です。
富永啓生選手はシューティングガードですが、父親の富永啓之さんは、その高さを活かしたポジションでセンターとして活躍されていました。
父親の富永啓之さんの高校時代は、洛南高校という全国区のバスケット部に所属し、高校バスケ界では知らない人はいない程、有名な選手でした。
なお、父親の啓之さんが現役バスケ部員の頃の年齢でも、母校の洛南高校は、もちろん全国区でした。
かつては常勝軍団と呼ばれ、バスケアニメのスラムダンクの山王高校のモデルになっていると言われる秋田の能代工業とウインターカップや総体でバチバチにやりあっていました。(ちなみにスラムダンクの洛安高校が洛南高校のモデルと言われています)
富永啓之さんの現役時代の映像がありましたので、載せておきます。
映像をご覧になった方はわかると思いますが、啓之さんは左でシュートをされています。
また、富永啓生選手の母親(元バスケ選手)も左でシュートをされています。
両親の影響によって富永啓生選手は左利きとして育てられたと考えられそうです。
啓之(父)さんはバスケット界では知らない人はいない強豪校で、かつ全国区の選手として知られる選手でした。
全国区で活躍する選手を欲しがらない大学はありませんよね。
啓之(父)さんはバスケットの強豪大学、日本大学に進学することになりました。
日本大学進学後は、三菱電機に就職。
かつて三菱電機のバスケットは男子バスケットボール部という存在でした。
メルコドルフィンズ〜ダイヤモンドドルフィンズとなり、Bリーグが発足されて以降は聞いたことのある人もいるはずです。
名古屋ダイヤモンドドルフィンズという名前になっています。
両親(父親・母親)の身長も凄い?!
富永啓生選手の父親・啓之さんの身長はなんと211cmあるのです!
2mとなるとほとんどの人が見上げるのではないでしょうか。
父親の啓之さんは1973年10月7日生まれということで、現在50代です。
啓之さんは小学校から中学校まで野球をやっていたそうです。
高校生になって、身長が199cmになったのをきっかけに、バスケットボールに転向されたそうです、。
高校生で199cmという身長は、野球でも武器になると思いますが、高身長を活かせるのはバスケットボールだと考えたのでしょう。
現在、男子バスケットボール日本代表選手の中では、アメリカで活躍する八村塁選手や渡邊雄太選手らも203cmになります。
啓之さんが、類まれな高身長を活かして日本バスケットボール界で活躍されていたことは、容易に想像できます!
富永啓生選手の母・ひとみさんの156cmです。
日本人女性としては、平均身長といえます。
ちなみに、母親のひとみさんの生年月日は不詳です。
そして、ここで整理しますと、父親の啓之さんの身長は211cmですから、夫婦の身長差は55cmあるのです!
イメージがつきにくいかもしれませんが、Twitter上でイメージ画像を紹介してくれている人がいましたよ。
ものすごい差ですね!
身長差55cmです。お納めください。 pic.twitter.com/gTZuDh5ONC
— 垢削除処理中 (@temokinoko) November 27, 2018
ご夫婦とも三菱電気(現在の名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)でプレーしていた同時期に、同じく三菱電気の女子バスケ部に所属されていたことがわかっています。
そこでお互いを知り、交際まで至ったのでしょうね。
息子さんである富永啓生選手の応援で、夫婦揃ってアメリカにも行かれてますし、とっても仲が良いのではないかと思います!
まとめ:富永啓之選手の父親も凄い選手だった!兄弟は妹が一人で両親の身長差が凄い!実家家族について
今回は、富永啓之選手の両親についてお話ししてきました。
両親ともに元バスケットボール選手という間に生まれた富永啓生選手。
父・啓之さんも日本を代表する名選手だったわけですが、啓生選手と比較してしまう人もいるかもしれません。
彼自身の人生を過ごしてきた富永啓生選手のことを温かく見守っていきたいと思います。