50代になった現在も、第一線で活躍し、その人気はとどまる事を知りません。
結婚された時にファン離れをしたという方も多い、福山雅治さんですが(私の姉が一気に冷めてしまってそういうもの?とびっくり)変わらず素敵に年齢を重ねている現在も、私はとっても好きな俳優でミュージシャンです。
福山雅治さんの人気はデビュー当時に最初に押し上げたのは、音楽の前にやっぱりあの甘いマスクだったのではないでしょうか。
カッコいい容姿に女性陣は虜となった事が、最初の成功の1歩だったと記憶しています。
そして、容姿端麗で音楽の才能に溢れる福山雅治さんだけに、生まれ育った実家のご家族がどんなご家族かのか、まずは、父や母、兄弟のお顔が気になった人も多い事でしょう。
そこで今回は、『福山雅治の実家・家族構成|父・母の感動エピソードを紹介!父と母どっち似?兄もイケメンだった』をテーマにご紹介します。
福山雅治のプロフィール
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福山雅治の家族構成
福山雅治さんの生まれ育った家族構成は、以下の4人家族です。
※さらに父方の祖母と暮らしていた時期も。
福山雅治の生い立ちは高校から母子家庭になった。貧しかった?
福山雅治さんの生まれ育った生い立ちでは、福山雅治さんが17歳の時に、父が肺がんを患い、他界されています。
17歳と言う年齢でしたので、母子家庭とは言えるのかどうかわかりませんが、一般的にやはり17歳はまだ幼い部分もあるお年頃ですよね。
ちなみに母子家庭の定義としては、20歳未満で未婚の子供のことを表すそうです。
母としては、まだまだ子供たちの為にお金のかかるでしょうし、大変だったのではないでしょうか。
ちなみに、福山家は、父が亡くなって母子家庭になってからも決して貧乏ではなかったようですよ。
「自分自身も決して裕福な家に育ったとは思っていないからさ。これ言うといつも母ちゃん怒るんだけど。『うちは普通よ』って言うのよ」
とラジオで、エピソードを明かしていましたので、普通のご家庭だったのでしょう。
その理由は、もともと父親が不動産業を営んでいて経営者だったことや、母も手に職をもっていて服飾の仕事をしていたことからなのでしょう。
福山雅治さんは裕福ではないという言い方をされていますが、ある程度ゆとりはあったのではないでしょうか。
というのも、福山雅治さんが40代の時のラジオで、時々お正月に母親からお年玉をもらっていると言っていたからです。
福山家が貧しくないという証拠に福山雅治さんが、芸能界で活躍するようになってからも、ラジオでは「忘れてたんだけど、俺さ、母ちゃんからお年玉もらったんだよ。」と言っていました。
「おとしだま かあちゃん」と書かれたお年玉袋をラジオの番組の時に初めて中身を開いた福山さん。
2万円入っていたようです。
毎年ではないものの、たまにもらっていたそうですが、大人になって稼いでいる息子にお年玉を渡すマインドがすでにお金持ちマインドだな~と思いましたよ(*^^*)
親にとって、子供はいつまでも子供ということなのかもしれませんね。
福山雅治の父親は明るく優しい『明さん』
名前:福山明(あきら)
生まれ年:昭和7年生まれ
職業:不動産会社経営
享年60歳
福山雅治さんの父親は、昭和7年生まれの『明』さんです。
明さんは子供の頃から明るい性格で、弟や妹たちの面倒をよく見る優しい人だったそうです。
大人になってからも、人が良く面白い人柄は変わらずで、近所の人からも有名だったのだとか。
父親(福山雅治さんの祖父)の手伝いで、工場を辞めてからはまるふく不動産を手伝い生計を立てていたそうです。
麻雀とお酒が好きで、福山雅治さんもお兄さんも、「父はあまり働いていない」というイメージがあるみたいですが、友人たちは、仕事も熱心な人だったとテレビのインタビューで言っていましたよ。
そんな父親の明さんが体調を崩したのが52歳で肺がんが分かり、間もなく闘病生活になってしまったのです。
そして10か月の闘病生活の末、昭和60年12月、53歳という若さで旅立たれました。
高校生で父を亡くし、とても辛かったでしょうね・・・
それ以上に母はもっとつらかったのではないでしょうか・・・
父は、子供達に肺がん闘病名をずっと伏せていたものの、福山雅治さんはわかっていたと言います。
自分の弱いところを見せたくない人だった父の明さん。
そこは福山雅治さんも自分に似ていると思ったそうです。
父のエピソードは?
福山雅治さんが父の事を想って書き下ろした『AKIRA』と言う曲。
天国からこの曲聞いている父親の明さんは、とても喜んでいることでしょう。
そんな父の明さんとの子供の頃の思い出の中に、スーパーヒーローに見えた事があったエピソードがあるのです。
子供の頃から良く遊んでくれていた父がある日、スーパーカーブームで乗りたがっている子供たちの為に、ランボルギーニを友人から借りてきて、乗せてくれた事があったそうです。
福山雅治さんと兄:『すごい!スーパーカー乗りたか!』
父:『分かった。乗せてやるけん!』
超一流の車ではなかったものの、父親が頑張ってくれた事が子供ながらにものすごく嬉しくて、今でもよい思い出なのだそうです。
はしゃぐ子供達と一緒にはしゃぐ父親を想像すると微笑ましいですね。
福山雅治の母・勝子はどんな人?
名前:福山勝子
年齢:昭和21年生まれ
父親と母親は昭和42年に結婚。
父親が32歳、母親が21歳の時だったようです。
11歳年下の奥さんだったですね。
父が亡くなったのが60歳と言う事は、母はまだ49歳、、、若くして未亡人になっていたのか・・・
福山雅治さんの歌にもある、「道標」は母方の祖母「貞子」さんのことを歌った曲というのは、ファンの間では周知の事と思いますが、祖母の貞子さんも、母子家庭として早くに夫を亡くし子供達を女手一つで育てた強い女性です。
そんな辛抱強い母(福山さんの祖母)を見て育った母の勝子さんは、女も手に職を付けようと長崎の洋裁の専門学校を出ている事から洋裁が得意です。
福山雅治さんが子供の頃は、オーダーメイドの服を作る仕事をしていたようですよ。
福山雅治さんのInstagramでは、母の手作りのコートが紹介されていた事がありましたね。
その出来栄えのすばらしさに驚いたファンも多かったのですが、プロとして仕事をされていた事を知り納得。
先日福のラジオで「35年前に母ちゃんが兄貴と僕に手縫いでコートを作ってくれた」という話をしたところ、母ちゃんがそのコートを送ってくれました。
取り置いてあったんだ、と感動しました。
非常に繊細に作り込まれていて、僕の物作りのルーツは母ちゃんゆずりだったんだと改めて気づかされました。まったく傷んでいるところがない35年前の手作りロングコート。母ちゃん、凄かばい。福
福山雅治さんと言えば、高校を卒業後1度は就職するも、夢があきらめきれず、5か月で会社を辞めて上京していますが、この時、母は心配はしていたものの、反対はしなかったそうです。
でも相当心配していただけに、福山雅治さんの活躍の場が広がる度に胸をなでおろしていたそうです。
理解ある母の性格はきっと実の母親(福山雅治さんの祖母)譲りだったのではないでしょうか。
福山雅治さんが両親を想った歌といえば、『誕生日には真白な百合を』ですね。
家族の事を知ってから聞くと、より感極まるものがあります。
歌詞の中にある「会えなくなるなんて」って父親の事を歌っていたんですね。
あなたは、母親に「産んでくれてありがとう」って言えますか?
私は恥ずかしくて言えないかも(〃▽〃)
福山雅治は両親のどちらに似ている?
福山雅治さんが初めてテレビで、両親の写真を紹介してくれた時、「母親に凄く似ている!」と言う声が殺到しました。
と言う事で、こちらが、福山雅治さんの両親の顔画像です。
福山雅治さんは、口元は父親に、それ以外は母親に似ていますね。
祖母も綺麗な方だったようなので、親族の良いとこどりをしたのが福山雅治さんなのではないでしょうか。
なお、父と母の出会いは、母が独身時代、叔母が経営していた駄菓子屋によく訪れていて、父親がその店によく出入りをしていたことからでした。
父親が、母の勝子さんに一目ぼれをし、交際がスタートしたそうです。
美しい母に一目ぼれした父。
明るく優しい人柄に惹かれた母。
その間に誕生したのが才能に溢れる福山雅治さんなのです。
なお、父親も歌が上手い人だったそうですよ。
良い遺伝子を引き継いだんですね。
福山雅治の兄もイケメン
名前:福山一明(かずあき)
年齢:ましゃより1歳年上
職業:???
福山雅治さんには1歳年上のお兄さんがいらっしゃいます。
ネット上では、職業は自衛官で幹部クラスとも噂されていますが、話の出どころがどこなのかは明らかにされていませんので、真相は不明のままです。
福山雅治さんの現在の活躍の原点ともいえる兄の存在。
福山雅治さんが音楽をはじめたのは、中学3年生の時に、兄の一明さんに誘われて、バンドを結成したことから、音楽付の日々が始まったのです。
バンドの練習で週に1回は、長崎にあるホンダ楽器へ通っていた福山雅治さんとお兄さんらバンドメンバー。
楽器などを揃えるために、アルバイトに余念がなく、お兄さんはしっかり貯めるタイプですが、福山雅治さんは、パ~っと使っちゃうタイプだったと、父親が残されたテープの中で言っていましたよ。
このエピソードからも、福山雅治さんとお兄さんの性格の個性の違いが感じ取られますね。
「兄がブラスバンド部だったんですよ。年子だったんですけど、ちょうど中学に上がる時に実家が増築されて。(中略)で、兄貴が『もしブラスバンド部に入ってくれたら、新しくできた部屋をお前にやるから』
このように弟を口説いたお兄ちゃん。
新しいお部屋もらえたんでしょうかね(*^^*)
気になるお兄さんの画像ですが、現在のお姿はわかりませんが、バンド時代の画像がテレビで放送されたことがありました。
左がお兄さん。
中々のイケメンではないでしょうか。
福山雅治さんはどちらかと言うと母親似で、お兄さんは、父親似のようですね。
自分が誘った音楽の世界で活躍する弟を、きっと自慢に感じているのではないでしょうか。
福山雅治が大好きなおばあちゃんの貞子さん
そして同居していた家族ではありませんが、福山雅治さんにとって、とても大切な家族の1人でもある祖母の存在を忘れてはいけませんね。
福山雅治さんが祖母の為に書き下ろした曲、『蜜柑色の夏休み』
私も大好きな曲です。
なんというか、軽快で優しいメロディが、心を温かくも明るい気持ちにさせてくれます。
先ほどもお伝えしましたが母方の祖母は、元々は商店の娘さんでしたが、ミカン農園に嫁いだことからみかん農園で、子供達を育てた女性です。
祖父の名前は、山口力磨さん。
福山雅治さんの母方の祖父も、持病の腎臓が悪化し、昭和32年、40歳の若さで他界されている事から、祖母は若くして未亡人となりました。
そして祖母の貞子さんは、父の明さんが旅立った4年後の、平成20年86歳で他界しています。
生前の祖母は、福山雅治さんが上京すると言った時にも一番応援してくれた方のようです。
お金も持たせてくれたようで、できる限りの支援をするという気持ちでいつも見守ってくれていた優しいおばあちゃん。
雅治さんの活躍を見守りながらも欠かさなかったことは、仏様や先祖の感謝の気持ちだったと言います。
みかん農園は現在は、無くなってしまったようですが、福山雅治さんは2022年にふるさとの長崎県に帰郷した時に、1本だけみかんの木が残っていたそうです。
きっとおばあちゃんはみかんの木となって、福山雅治さんの活躍を近くで応援しているのかもしれませんね。
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福山雅治の実家・家族構成|父・母の感動エピソードを紹介!父と母どっち似?兄もイケメンだった まとめ
福山雅治さんのルーツともいえる実家のご家族についてご紹介しました。
まとめです。
・福山雅治さんの父親は、長崎で不動産業を営んでいた明さん。
父は明るくやさしく楽しい人柄の人だった。
・福山雅治さんの母親は、洋裁の仕事をしていた勝子さん。
夫を49歳の時に亡くし、女手一つ、頑張って家族を支えてきた。
・福山雅治さんの兄は、イケメンの1歳年上、一明さん。
音楽の道へ誘ったのは兄だった。
・福山雅治さんは母親似で、兄は父親似。
・『蜜柑色の夏休み』の曲は、母方の祖母、貞子さんを想って書き下ろした曲。
家族の愛情をたっぷり注がれて伸び伸び育てられた福山雅治さん。
そして、現在、福山雅治さんにも、可愛い子供たちがいます。
大好きな祖母や父、母の血を、福山さんが引き継ぎ、さらにその子供達へ命のバトンがつながっていくことがとても神秘的に感じました。
これからの未来がよりよいものとなりますように、みんなで良い日本を育てていきたいですね。