いくつになっても美しい吉永小百合さんにあこがれる女性は多く、私生活が気になった方も多いことでしょう。
ゆっくりとお話されるところが上品で、甘美な微笑みからは想像できませんが、普段はとてもテキパキ動かれているかたなのだそうです。
また、日本の母を演じる機会も多く、母性溢れる母親像に感動の涙を流したことがあるという人もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで今回は、吉永小百合さんの子供に纏わるあれこれについて迫って見たいと思います。
題して『吉永小百合に子供がいない理由は?自らの意思と母の存在だった』です。
サクッと読めますので、ぜひ最後までご覧くださいませ。
吉永小百合さんの結婚はいつ?
吉永小百合さんは人気絶頂中の1972年、当時、フジテレビに勤めていたの岡田太郎さんとご結婚をされています。
28歳の時のご結婚でお相手は、15歳年上という事もあってか、両親に猛反対の末のご結婚でした。
旦那さんがどんな人で、結婚の決め手などについては、改めて以下の記事で詳しくご紹介しまていますので、ご興味ある方は併せてご参照されてみてください。
吉永小百合の旦那(夫)岡田太郎の現在は?年齢・手掛けた作品などプロフィールもまとめ |
吉永小百合さんに子供がいない理由は自らの意思だった
吉永小百合さんが結婚した年齢は28歳と決して、出産が無理な年齢ではありませんでしたが、なぜ子供さんがいらっしゃらないのでしょうか。
これについて吉永小百合さんは、結婚前に、「結婚しても子どもを産まない、産みたくない」と発言していたようです。
子供を作らない理由については、決して子供が嫌いというわけではないですが、自分自身にも責任が持てないのにとても、子供を育てる自信がないということが語られています。
また、子供で結びつく夫婦関係はイヤであることもお話されていたようです。
※文春オンライン引用 https://crea.bunshun.jp/articles/-/42530?page=2
少し余談ですが、昔の芸能界は、子供が出来たら女優はできないという常識があったようです。
というのも、あの田中美佐子さんも、女優と子供についてインタビューでこのようにお話されていました。
そして葛藤もあったようです。
当時は女優さん同士で「結婚して仕事がなくなったらどうしよう」という会話をよくしていましたね。結婚したい人や彼がいたりする人もいっぱいいましたし、早く子ども産みたいねっていう話もするんですけど、「でも、今はこのレギュラーをやってるし、子どもができたら女優終わりだよね……」って。なんだか「終わり」な気がしてたんですよ。二度と復活できないんじゃないかって。
※https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Wotopi_52484/
吉永小百合さんは一生、女優でい続けるために、子供を産まない人生を選択されたのではないでしょうか。
まさに女優としてのプロ意識がそうさせたのだと思います。
夫の岡田太郎さんも、テレビの業界で才能あふれる人なので、そんな吉永小百合さんの気持ちんが痛い程理解でき、共に子供のいない人生を謳歌しようとお約束されたのかもしれませんね。
NHKスペシャル『吉永小百合 知られざる母への思い』~吉永小百合が子供を作らなかったもう1つの理由
これまで、あまりプライベートの部分を語ってこなかった吉永小百合さんですが、母親については、お話されています。
吉永小百合さんは、幼い頃から、母親の願いにいつも答えていたようで、日記に、
「いい子過ぎたんでしょうね。親が望む方向に乗っかるようにして、我慢して仕方がないのかなと諦めて」
と、本人が赤裸々に綴っているのです。
吉永小百合さんの母親は、いわゆるステージママと世間では言われています。
吉永小百合さんを女優に導いたのは、当時、ピアノの教師をしていた母「和枝」さんで、女優業は、母親と二人三脚で進めていき、国民的大女優になられたのです。
しかし、人気が出て多忙になればなるほど、母親との考え方にズレが生じてきたようです。
吉永小百合さんは、本当に自分がやりたい事を母にぶつけることができず、ずっと我慢して育ってきたそうです。
そしてとうとう限界が訪れました。
20代半ばで、多忙とストレスから声がでなくなってしまったのです。
そして、親離れするように、親の反対を押しきって結婚をされています。
普通の生活がしたいと強く願うようになりましたが、もはや母の為に、よいこでいることは限界だったのでしょう。
こうして母の同意を得られないまま、結婚したことから、結婚式には両親は出席しませんでした。
わずか5人だけの結婚式を執り行った吉永小百合さん。
形だけでも式を挙げたいとう思いと、旦那さんが再婚ということや、マスコミの目を避けるために、知人宅でひっそりと執り行ったようですが、私服で結婚式を行ったのは、親への唯一の反抗だったのではないでしょうかね。
また、母親との決して良好とはいえない生い立ちがあったから、子供を欲しいと思わなかったのではないでしょうか。
生い立ちで縛られ過ぎると、大人になってからやっと解放されたという安堵感から、このまま自由でいたいという気持ちが強くなるものだと思います。
吉永小百合さんは、結婚前に女優業を休むも、比較的早くに女優復帰を果たしています。
映画『動乱』に出演した後、もう一回、映画の世界で、地に足をつけてやってみようと思ったようです。
この時から、子供を産む人生を諦めたそうです。
実の母親との親子関係がうまくいかないから、自分が子供を持ったときにまた同じような形になるという危惧もがあったと、吉永小百合さんは語っています。
気になる母についてですが・・・
その後、母親は90歳で他界されています。
最後は癌を患っていたのですが、90歳の誕生日に母はシャンソンを歌ったりと上機嫌だったそう。
子供に迷惑をかけたくないと、癌を患ってからも最期まで一人暮らしを続けた母親は、気丈で強い女性だと思いました。
そして、子ども達に見守られて、幸せな最期を迎えられたようです。
母は最後まで吉永のことを案じていたそうで、「私のことがすごく心配だったみたいで、私の仕事をサポートしている女性に『頼むわね』って。何度も『小百合のこと、頼むわね』って言ってましたね」と明かした。
※スポニチ出典
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吉永小百合に子供がいない理由は?自らの意思と母の存在だった まとめ
母親の和枝さんは作家志望だったので、短歌を読むことも多く、『徹子の部屋』に吉永小百合さんが出演した際、母親の短歌がいくつか紹介されていました。
吉永小百合さんは、子供を持ったことがありませんが、これまで数多くの作品で母親役を見事に演じているのは、母の愛情を肌で感じ、思い出しながら演じていらっしゃるのではないでしょうか。
映画『昭和の母』を演じた際には、母親が残した詩を読み、母を振り返っていたそうです。
子離れできなかった母の気持ちに浸り、母との思い出にきっと涙しながら読んだ事と思います。
母親にとって、娘はいくつになっても可愛い我が子で、母親なりの愛情をたくさん注いだことが、若い時の吉永小百合さんを苦しめてしまったようですが、最後はやはり母親は吉永小百合さんにとって、とても偉大な存在だったことでしょう。
きっとは母は、いま天国で我が子の雄姿を、喜んでいらっしゃることと思います。
吉永小百合さんとは比較になりませんが、我が母も相当、子離れしていないことから、この記事を書きながら、自分の母が思い浮かびました。
さて私の母のかまってちゃんはどうしたものかしら・・・