ベルギーのシント=トロイデンに所属していた元日本代表の岡崎慎司(おかざきしんじ)選手が、2024年のシーズンをもって現役を引退を発表しました。
日本代表では、ワールドカップに3大会連続で出場し、歴代3位のゴールを記録し、クラブではレスター・シティ時代に”ミラクルレスター”の一員としてプレミアリーグ制覇に貢献しています。
今回は、そんな岡崎慎司選手の引退理由と、今後について調査しましたので、ぜひ最後まで読んでく下さいね。
岡崎慎司選手の引退理由
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岡崎慎司選手は2024年6月17日に引退会見を発表しました。
引退を決断した一番の理由は『膝の怪我』でした。
引退発表前のシーズンから膝に痛みを抱えてプレーしており、試合で理想の動きができなくなり、引退の2文字が頭によぎったそうです。
今まで諦めたことは1回もなかったけど、もちろん、引退する気持ちと『このまま終わりたくない』気持ちが芽生えていた。サッカー選手の続きを欧州でつくりたい、新しい挑戦をしたい、と芽生えた時に、サッカー選手ではないな、と決めてしまって。自分は決めると一直線になる人間だと、あらためて思いました。引退を奥さんに話した時に『みんなに早く言って』と。僕はシーズン最後までやって、やめようかなと思ったら、奥さんが『応援してくれた人に伝えるべき』と。だから2月に発表しました。僕は、みんなのために、より、自分はこうしたい、とわがままに選手をしていた。それを貫いて、やり切ろうと決めた。挑戦の続きは、自分でつくれると思ったからこそ、やめられた。自分にとってはポジティブな決断に至りました
引用元:日刊スポーツ
岡崎慎司選手のプレースタイルといえば、ゴールに体を投げ出したり、泥臭く献身的にチームに貢献する印象が強いですが、限界が来ていたのでしょうね。
代名詞といえるダイビングヘッド見れなくなるのはファンとしてはとても寂しくなりますね。
岡崎慎司選手の経歴
ご存じの方も多いと思いますが、岡崎慎司選手の経歴をまとめました。
生年月日:1986年4月16日
出身地:兵庫県宝塚市
身長:174㎝
体重:76㎏
出身校:滝川第二高等学校
所属チーム:2005~2010 清水エスパルス
2011~2013 Vfbシュトゥットガルト
2013~2015 1.FSVマインツ05
2015~2019 レスター・シティ
2019 マラガCF
2019~2021 SDウエスカ
2021~2022 FCカルタヘナ
2022~2024 シント=トロイデンVV
日本代表:119試合出場50得点
兵庫県生まれの岡崎慎司選手は、地元の強豪滝川第二高校に進学し1年生の時からレギュラーとして試合に出場しており、3年生の時にはキャプテンを務め全国大会でベスト4の好成績をおさめています。
大会抽選会では、当時石川県代表の星稜高校キャプテンの本田圭佑選手と握手をしています。
この時が初対面だったそうで、「圭佑は堂々としていたな」という感想を後にか話していました。
同世代には他にも福岡の強豪東福岡高校出身の長友佑都選手がいますね。
高校サッカー世代の中では、高校時代は岡崎慎司が目立っていた印象です。
クラブチーム
2005年に清水エスパルスに入団しましたが、当時の監督である長谷川健太氏の評価は8人いたFWの中で一番下の位置づけでした。
それから相当努力し、新人王を獲得するまでに成長しました。
ただ、受賞時にすでに在籍5年目になっていた岡崎慎司選手の新人王は賛否があり、これ以降対象年齢の見直しが行われました。
年齢が若い時から活躍しているイメージがありましたが、下積み時代があったんですね。
その後、ドイツに渡り数シーズンプレーした後に2015年にイングランド・プレミアリーグ、レスターシティFCに移籍しました。
この年にあの伝説のプレミアリーグ優勝を果たし、「ミラクルレスター」と讃えられたシーズンを経験しています。
この優勝は、サッカー史上最大の番狂わせと言われており、英ブックm-カーは、凄さを表すのに「5000シーズン戦って1度優勝するぐらいの確率と表現しました。
ちなみに日本での5000年前は縄文時代です。笑
岡崎慎司選手もスタメンとして試合に出場し、献身的に前線から守備を行い勝利に貢献していました。
得点は36試合に出場し5得点しか挙げていないんです。
FWの数字としては寂しい感じですが、5得点しか挙げていないのにも関わらず監督、チームメートの信頼が厚かったのは言うまでもありません。
日本代表
日本代表でも活躍している岡崎慎司選手。
・2010南アフリカワールドカップ出場
・2014ブラジルワールドカップ出場
・2018ロシアワールドカップ出場
国際Aマッチ 119試合出場・・・歴代4位
50得点・・・歴代3位
岡崎慎司選手が日本代表に定着し始めたときは、中山雅史さんとダブったサポーターも多いのではないでしょうか。
歴代得点では釜本邦茂さん、三浦知良選手に次ぐ第3位を記録しており、長い間日本代表FWの象徴だった気がします。
岡崎慎司選手の引退後・現在について
気になる今後についてですが、明確なビジョンを描いているようで、引退発表の際には将来のビジョンについて話していました。
「欧州でコーチになりたいと思っている。おそらく、僕自身、選手の時よりも良いコーチになれるだろう。僕の身体はもう十分だと言っている。怪我は大きすぎた。コーチとしてシント=トロイデンに戻ってくるだろう。それは高尚なこと。僕はまだコーチになるために多くのことをやる必要がある」
引用元:yahoo!JAPANニュース
併せてドイツ6部バサラ・マインツの監督に就任することが発表されました。
「この度、クラブ創設10周年に監督としてこのクラブに来れる事を嬉しく思います。私がこのクラブを代表の山下と立ち上げてから沢山の選手達やスタッフ、応援してくれるファン、スポンサーの方のおかげで、クラブは現在6部で奮闘中です。ヨーロッパで監督をしたいと思えたのはこのクラブがあったからというのもあります。このクラブと選手、スタッフ、関わる人達と、成長し、さらに上のリーグに上がっていけるように頑張ります。皆さん沢山の応援よろしくお願いします!」
引用元:SOCCERKING
このコメントを聞くとわかると思うのですが、バサラ・マインツのオーナーは、岡崎慎司選手なんですね。
2014年に滝川第二高校の先輩である山下喬さんと立ち上げたクラブです。
ドイツ11部からスタートしたクラブは現在6部に所属しており、2024年8月から岡崎慎司選手が指揮を執ることになりました。
元日本代表の長谷部誠さんもそうですが、日本人が海外で指導者になるのも珍しくなくなってきてますね。
特にドイツでは、ドルトムントに所属していた香川真司選手や、時代をさかのぼれば奥寺康彦さんなど多くの選手がクラブの中心で活躍しているので、サッカー大国とはいえない日本人でも先進国の欧州のリーグで指導者になりやすい環境にあるのかもしれませんね。
まとめ:岡崎慎司選手の引退後の現在と引退理由について
今回は、長年欧州でプレーした岡崎慎司選手の引退後について調べてみました。
・引退後は指導者になる
・ドイツ6部バサラ・マインツのオーナーであり、監督就任が発表された
将来は、ぜひJリーグで指揮している姿が見たいですし、多くのサポーターが「岡崎ジャパン」を夢見ていると思います。