ジュノンボーイ出身で、現在俳優としても絶大な人気を誇る飯島寛騎さん。
2016年10月から2017年8月までテレビ朝日系列で放送されていた、『仮面ライダーエグゼイド』で主演に抜擢され、俳優デビューしました。
俳優デビュー前には、若手イケメン俳優の登竜門でもある第28回『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』でグランプリを受賞しています。
元々大学卒業後は消防士を目指す予定だった飯島博騎さんでしたが、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』でグランプリをとったことにより、いきなり芸能界に進出した飯島寛騎さん。
なかなか業界のことが分からず最初は大変だったようですが、芸能界に入って3年経ってやっとなれてきたと話していました。
なった同じ北海道出身の俳優である大泉洋さんに憧れており、
「いつか大泉さんを越えたいという高い目標は、いつも持っていたいと思ってます」
引用:週刊女性PRIME
と語ったことがあり、スター俳優になれるかどうか期待されています。
そして、イケメン俳優というと、多くの人が気になるのが、どんなご両親の元育ってきたのか、兄弟の有無なのではないでしょうか。
そこで今回は、北海道スター候補である飯島寛騎さんの実家・家族について調査しましたので、まとめていきます。
飯島寛騎の父親はどんな人?現代では珍しいお堅い性格?
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飯島寛騎さんの父親は一般人。
年齢や職業、顔写真は公開されていません。
飯島寛騎さんは父親について、かなり堅い性格だったことが明かされています。
2023年4月から放送されていたドラマ『僕らの食卓』でW主演を果たした飯島寛騎さんと犬飼貴丈さんの対談が行われました。
対談では飯島寛騎さんが、実家ルールについて話す場面がありました。
「うちは、食事は家族の時間を楽しむものという父親の思いで、食事中はテレビが禁止でした。」
引用:withonline
父親はあまり喋らない性格であったようで、静かな食卓を気まずく思った飯島寛騎さんが何か話を盛り上げようと家族皆に話題を振りまくっていたそうです。
食事中に話すこと自体は大丈夫なようですが、スマホをいじろうものなら父親に怒鳴られそうな家庭ですね。
飯島寛騎さんは理想の父親像について聞かれた際、「寡黙な父親の元で育った影響で」と前置きし、
行動と言葉で自分の思いを表現できる、かっこいい父親になりたいですね。
引用:withonline
と答えていました。
また、飯島寛騎さんは父親の影響でバイクが好きになったというエピソードもあります。
飯島寛騎さんの公式Instagramで、3歳の頃の写真が投稿されたのですが、3歳の飯島寛騎さんは父親のバイクにまたがっていました。
多分3歳。20年経った今でもZZR乗ってる父。物を大切にの重みが凄い。
引用:Instagram
同じバイクを20年乗り続けるのは、なかなかできることではありません。
バイクは乗り続けるにつれてどんどん上がっていく車検代や、修理代の高さに諦めて違うバイクに乗り換える方が多いです。
飯島寛騎さんの父親は大きな修理が20年間必要にならないぐらい大事にバイクに乗っていたか、ZZRをとても気に入っていたと考えられるでしょう。
飯島寛騎さんは父親と幼いころから2人乗りをしていたそうで、バイクでしかできないことをやるのが昔から好きでした。
父親との体験が活きて、飯島寛騎さんもバイク乗りです。
バイク乗りとして、仮面ライダーになれたことはとても嬉しかったのではないでしょうか。
免許取得後、現在飯島寛騎んは1度バイクを乗り換えたと言いますが、1台目は壊れたわけではなく従兄弟にあげたと語っていました。
物を大事に扱うように父親が直接言って教えていたのかは不明ですが、20年も同じバイクに乗り続ける父の背中を見て、飯島寛騎さんは何も言われなくても分かっていたのかもしれませんね。
飯島寛騎の母親はどんな人?飯島博騎さんの性格は母親似?
母親も一般人。
年齢や職業、顔写真は公開されていません。
母親も飯島寛騎さんと同じく、静かな空間が嫌な人だったようで飯島寛騎さんと一緒に静かな食卓を盛り上げようと話題を振っていたそうです。
このことから、飯島寛騎さんの性格は母親譲りのものだと言えるでしょう。
飯島寛騎さんは母親について、
「母親が毎食4品以上も品数を用意してくれていたのも、贅沢だったなと。自分で自炊をするようになって、母親の大変さを感じています。」
引用:withonline
と、料理を頑張ってくれていたことに対してとても感謝しているようです。
飯島寛騎さんの母親は、映画『劇場版 仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング』の初日舞台挨拶に出席した飯島寛騎さんに対し、サプライズで手紙を送っていました。
母親は手紙の中で、飯島寛騎さんは石橋を叩いて渡る性格ではなく、石橋はとりあえずわたる性格だと語っており、昔からチャレンジ精神のある性格だったと思われます。
「考えるよりもまず行動で、これからも自分の可能性を広げてください」
引用:映画ナタリー
と手紙で語られ、『仮面ライダーエグゼイド』をやり切った飯島寛騎さんに「お疲れさまでした」とねぎらいの言葉もかけていました。
母親の手紙サプライズに、飯島寛騎さんは涙を浮かべ、
「母ちゃんっぽくない。そんな言葉使わない!」
引用:映画ナタリー
と照れ隠ししていましたが、「お母さん、ありがとう」と感謝するコメントを残しました。
飯島寛騎さんがグランプリを受賞した第28回『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』で、応募するように強く推していたのは飯島寛騎さんの母親です。
母親が応募を勧めなければ、飯島寛騎さんは仮面ライダーになれなかったでしょう。
俳優としてのキャリアをスタートするきっかけを作った母親に、飯島寛騎さんはずっと感謝の気持ちを持ち続けそうですね。
飯島寛騎にきょうだいはいる?
<きょうだい構成>
- 飯島寛騎さん
- 妹
飯島寛騎さんには妹が1人います。
妹も一般人なのか、年齢や職業、顔写真は公開されていません。
食事中のテレビ禁止という実家ルールを明かした際に、「でも父親と妹はしゃべるタイプじゃないから」と語っていました。
母親似と思われる性格の飯島寛騎さんと違い、妹は父親に似た性格をしていそうですね。
飯島寛騎さんは、妹と小学3、4年生の頃に大喧嘩したことがあると語っています。
大喧嘩の末、妹は飯島寛騎さんがプレイしていたRPGゲームのデータをリセットという行動に出ました。
ゲーマーからすれば発狂ものですよね。
妹の行動に激怒した飯島寛騎さんは、ストーブにサッカーボールをぶつけまくり、ストーブを壊してしまったそうです。
飯島寛騎さんの実家は北海道にあるため、ストーブが無いのは死活問題でしょう。
当たり前ですが、ストーブを壊したことにより飯島寛騎さんは親から怒鳴られました。
この出来事が飯島寛騎さんの人生で一番両親から怒られた出来事だと言います。
恐らくストーブを壊すきっかけを作った妹も、同じように両親から怒鳴られたでしょう。
飯島寛騎さんも妹もここまでの行動を起こすなんて、何がきっかけで喧嘩になったのか気になりますね。
まとめ:飯島寛騎は寡黙な父親の元で育った!母親のおかげで芸能界入り!
飯島寛騎さんは実家家族ととても仲が良いそうです。
実家は食事中のテレビを禁止されている、現代では珍しい家庭でした。
父親と幼少期からバイクを2人乗りしており、現在も飯島寛騎さんはバイクに乗っており趣味にしています。
ライダーとしては、『仮面ライダーエグゼイド』の主演に選ばれたのはとても嬉しかったでしょう。
飯島寛騎さんは第28回『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』のグランプリを受賞していますが、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』の応募を勧めたのは母親です。
母親が勧めていなければ、飯島寛騎さんは仮面ライダーになることはなかったかもしれませんね。
飯島寛騎さんが母親似の性格なことに対し、妹は父親似の性格のようであまり喋るタイプではないそうです。
飯島寛騎さんは小学3、4年生の頃妹と大喧嘩し、サッカーボールを投げてストーブを壊したことが理由で両親に人生で一番怒鳴られたエピソードを明かしています。
現在の飯島寛騎さんは温厚そうな顔をしているため、エピソードを知ってびっくりした方も多かったのではないでしょうか。
飯島寛騎さんは、『仮面ライダーエグゼイド』以降も主演を務めることが多く、知名度がどんどん上がり続けています。
これからも飯島寛騎さんの活躍に期待しましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。