市原隼人さんは、2004年放送された大ヒットドラマ「WATER BOYS2」で主演を果たして注目を集め、2008年には大ヒットドラマ「ROOKIES」に出演したことで、「ザテレビジョンドラマアカデミー賞」最優秀助演男優賞を受賞した実力派俳優です。
「ザテレビジョンドラマアカデミー賞」受賞の際は、2位との3倍以上の得票差をつけていたため、当時ぶっちぎりで演技力が高かったと言えるでしょう。
2014年9月21日にはモデルの向山志穂さんと結婚し、11月には第一子が誕生するなど仕事もプライベートも順風満帆だと言えます。
そんな市原隼人さんは、男らしい役柄をよく演じているイメージがありますが、このイメージは両親の教育方針の賜物のようです。
また、端正なお顔立ちからハーフ?と思われる事も多いようです。
そこで今回は、市原隼人さんがハーフなのか、実家・家族について調査しましたのでまとめていきます。
市原隼人の父親がイケメンすぎる!厳しかった?現在車いす生活をしている?
市原隼人さんの父親は一般人のため、名前や年齢は明かされていません。
市原隼人さんはインスタグラムで父親の若い頃の写真を投稿しています。
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こちらは市原隼人さんが34歳の時のお誕生日の日に、インスタにアップした画像です。
ファンの間では、父親が現在の市原隼人さんにそっくりだと話題になりました。
父親は器械体操と柔道経験者というスポーツマンで、市原隼人さんも父親の影響で幼少期から器械体操や空手、水泳に取り組んでいました。
幼少期から好きだったジャッキーチェンの分厚い雑誌を父親に持ってもらい、突きの練習にも付き合ってもらったり、キャッチボールを一緒にしたりしていたそうです。
市原隼人さんの男らしさは、父親の影響が大きいのかもしれません。
父親は厳しく、「挨拶は大きな声でしろ」と市原隼人さんに教えていました。
中には、「ご飯は早く食べないと誰かに取られるぞ」、「字ははみ出るぐらいデカく書け」という独特な教えもあったそうです。
父親は昔、サンディエゴでエンジニアとして働いていたそうですが、市原隼人さんがドラマの撮影中悪い知らせが飛び込んできます。
母親から、
「お父さんが、脳梗塞で倒れちゃったの・・・」
引用:note
と電話がかかってきたのです。
市原隼人さんは父親が亡くなってしまうのではないかと思い、現場で号泣してしまいました。
父親は左下半身不随になり、リハビリに懸命に取り組んだ結果杖ありで歩けるまで回復してきていたものの2度も脳梗塞が再発し、現在は車いす生活になってしまいました。
父親は、自分で車いすを動かすこともできなくなっているそうです。
スポーツマンで男らしかった父親が現在は、
「こんな姿になってすまない」
と一緒に食事をしている時に何度も謝るようになってしまったそうです。
車いすバスケットボールのドキュメンタリー映画「THE REBOUND」のイベントに登壇した市原隼人さんは、車いす生活を送る人がネガティブになってしまう現状について、
「悪いことじゃないしカッコ悪くもない。堂々と社会に出ていってほしい。もしそれで白い目で見られるとしたらそれは社会が間違っている」
と熱く語りました。
父親にも以前のように明るくなってほしいと願っての発言だったと思います。
男らしい頃の父親に戻ってもらい、市原隼人さんと元気に会話する姿が見たいですね。
市原隼人の母親はどんな人?ハーフの真相は?
市原隼人さんの母親は一般人のため、名前や年齢、職業は明かされていません。
父親の介護の都合上、現在母親は専業主婦の可能性がありますね。
父親と同じく、市原隼人さんがインスタグラムで若い頃の母親の写真を公開したことがあり、美人だと話題になりました。
ハーフの真相は?
市原隼人さんはイケメンのため、両親のどちらかが韓国人のハーフではないかと言われていましたが両親ともに日本人です。
噂の発端は、市原隼人さんのルックス以外にも、2003年に映画「偶然にも最悪な少年」で主演を務めた際、在日韓国人の少年役を演じていたことも関係していそうです。
母親も厳しい性格だったそうで、
「僕は頭がいい方じゃなかったので、『人様が寝ている間に10倍努力しろ』とずっと言われていました」
引用:映画.com
と語っていました。
また、眉毛の細さや腰パンも注意されたことがあるそうで、母親からは見た目にも気遣ってほしいという親心を感じます。
市原隼人さんが母親に影響を受けているのは、料理好きであるところです。
幼少期から母親は市原隼人さんが台所に入ることを許しており、市原隼人さんが2~3歳の頃は油の中で泳いでキッチンを汚すこともあったとか。
しかし、母親はそんなことをされても怒ることなく、小学生になっても怒らずに一緒に料理を作ってくれたそうです。
「キッチンは大好きなお母さんと一緒にいられる時間でしたし、その時間が僕はすごく好きだったんです。そこから自然と大人になっても料理をすることが好きになったんだと思います。」
引用:Hint-Pot
と語っており、市原隼人さんの料理好きは母親のおかげのようです。
現在市原隼人さんは、マイ包丁を10本そろえるほど料理にこだわっています。
男らしくて料理ができるように育てるなんて、市原隼人さんの両親はいい教育をしてきましたね。
市原隼人にきょうだいはいる?
市原隼人さんの兄弟には、兄や弟ではなく、姉が1人います。
姉も一般人のため、顔写真や名前、職業は明かされていません。
年齢は市原隼人さんの3歳年上です。
市原隼人さんは姉に全く言及していないため、市原隼人さんが有名になる頃には社会人になったり、家庭を持っていたりしているという理由でエピソードについて明かさなかったのではないでしょうか。
姉の生活を守る素晴らしい弟だと思います。
姉の呼び方については、映画「虹の女神」に関するインタビューで両親のことを、「父ちゃん、母ちゃん」と呼んでいたため、市原隼人さんは「姉ちゃん」と呼んでいた可能性が高そうです。
市原隼人さんはドラマ「あいくるしい」で弟役を演じたことがあります。
実家での姉を思い出しながら、撮影に臨んだのではないでしょうか。
まとめ:市原隼人の父親はスポーツマンで元エンジニア!母親の影響で料理好きに!3歳年上の姉がいる!
では、今回のまとめです。
- 市原隼人さんの実家・家族構成は、両親と姉1人の4人家族です。
- 父親は柔道と器械体操経験者というスポーツマンで、サンディエゴでエンジニアとして働いていたと市原隼人さんから明かされていたため、エンジニアとしてかなりエリートだったのではないでしょうか。
- 父親の若い頃の顔写真が公開された際は、市原隼人さんとそっくりだと話題になりました。
- 父親の影響で体を動かすことが好きだった市原隼人さんは、空手、器械体操、水泳と幼少期にスポーツに取り組んでいます。
- また、「字は大きく書け」「ご飯は早く食べないと誰かに取られる」という独特な教育もしていました。
- 市原隼人さんを男らしい性格に育てたのは、父親ではないかと想像できますね。
- 市原隼人さんが20歳の頃、父親は脳梗塞で倒れ一時は杖ありで歩けるようになるまで回復していたものの、2度も脳梗塞が再発してしまい現在は車いす生活を送っています。
- 車いすを自力で動かすこともできなくなり、一緒に食事をしている時は「こんな姿になってすまない」と謝られることもあるそうです。
- 市原隼人さんは昔の元気な性格の父親に戻ることを、心から祈っていることでしょう。
- 市原隼人は母親の影響で料理が好きになり、現在はマイ包丁を10本もつほどこだわっています。
- 母親は厳しく、細眉・腰パンというファッションを注意されることもありましたが、幼少期からどれだけキッチンで好き勝手して汚しても怒られなかったそうです。
- キッチンで母親と過ごす時間が大好きだった市原隼人さんは、そのまま料理好きになったそうです。
- 市原隼人さんには3歳の姉がいますが、一切兄妹エピソードが明かされていません。
幼少期の兄妹エピソードだけでも聞いてみたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。