2019年2月にデビューした個性派女優の河合優実さん。
デビュー直後はMVに数多く出演し、特技のダンスを披露することもありました。
2021年公開の映画「由宇子の天秤」、「サマーフィルムにのって」での演技が評価され、数々の映画賞で最優秀新人賞を受賞されている演技派女優さんでもあります。
どんどん注目度が上がっていった河合優実さんは、2024年にTBS系列で放送されたドラマ「不適切にもほどがある!」で大ブレイク。
演技力だけでなく、1980年代に流行った「聖子ちゃんカット」のウィッグがあまりにも似合いすぎている事でも話題になりました。
河合優実さんは「令和の山口百恵」と呼ばれることも。
個性的な河合優実さんは、どんな学生時代を送っていたのか気になるところです。
今回は、河合優実さんの学歴や学生時代のエピソードについて調査しましたので、まとめていきます。
河合優実が通っていたのは保育園?幼稚園?幼少期から個性ありすぎ!?
河合優実さんは幼稚園に通っていたと、インタビューで明かしていますが、どこの幼稚園に通っていたかは明らかになっていません。
東京都練馬区出身なので、練馬区立の幼稚園に通っていたと思われます。
河合優実さんは幼少期、人見知りではなかったものの友達を自分から作ろうとせず、1人で遊ぶことが好きだったようです。
幼稚園時代、花を潰して色水を作りジュース屋さんごっこをするのが周りで流行っていたそうですが、河合優実さんはいつも隅で色水を作り続けていました。
母親が幼稚園参観に来た時も、河合優実さんは色水を1人で作り続けており、「皆と一緒におままごとしないの?」と聞かれたものの、「色水は作りたいけど、おままごとはしたくない!」と答えたそうです。
母親と散歩に出かけた際も、いきなり座り込み気になった石や草をずっと観察して、母親を待たせることもあったとのこと。
幼少期の話を母親としたところ、「協調性がないけど、この子は大丈夫かしら…」感じていたと、河合優実さんは聞かされたそうです。
河合優実さんは、幼少期から自身が気に入ったことにどんどんのめりこむ性格があったようですね。
この性格が活き、女優としても成功できたのでしょう。
河合優実が通っていた小学校・中学校はどこ?ダンスとの出会いも!
河合優実さんが通っていた小学校は、『練馬区立高松小学校』が有力視されています。
河合優実さんの通っていたと思われる小学校のアクセスマップと公式ホームページ
小学3年生の頃には、妹が先に通いだしたというダンススクールに河合優実さんも通うようになりました。
ダンススクールに通うということは、体を動かすのが好きな小学生時代だったと想像してしまいますが、実際はまさかの運動音痴だったそうです。
「もともと体を動かすのは苦手で、体力テストはいつもC評価。」
最初はダンススクールのバレエクラスを受講した河合優実さんでしたが、どうしてもバレエが好きになれずに泣きながら帰宅。
見かねた母親がヒップホップクラスに変更してからは、ダンスや運動を楽しめるようになったそうです。
母親の気遣いが無ければ、河合優実さんはダンスを続けていなかった可能性が高いでしょう。
現在はバレエにも魅力を感じられるようになったようで、
「もともとダンスはやっていましたが、バレエには触れてこなかったので、やってみたいなと。常に動く体でいたいし、大きな意味で表現につなげていきたい」
引用:サンスポ
という理由で、2024年はバレエの勉強に力を入れたいと語っていました。
現在もMVなどで、素晴らしいダンスを見せている河合優実さんですが、中学では進学と共にダンスから1度離れています。
どこの中学校に在籍していたかは明らかにされていませんが、練馬区立の中学校が有力とされています。
河合優実さんがダンスから1度離れた理由は、中学校にダンス部がなかったことだそうです。
中学時代はバスケ部に入部しています。
ダンス部がある中学校を探せなかったことからも、公立の中学校に通っていた可能性が高そうですね。
河合優実の高校・大学はどこ?
河合優実さんは中学卒業後、都立国際高校に進学しています。
河合優実さんとしてはダンス部がある高校を探した結果だそうなのですが、都立国際高校は進学校としても有名で偏差値は68。
国公立大学やトップ私立大学への進学者を多く輩出しています。
河合優実さんは文武両道だったと言えるでしょう。
進学校ではありますが、都立国際高校はかなり自由な校風だそうで、ダンス部は振り付け・選曲・衣装制作等、全ての決定権を学生側が持っているため、ゼロから生徒主体のダンスを作り上げることができた と言います。
中学でダンスから1度離れることになったからか、高校ではかなりダンスに対して突き詰めていった河合優実さんは、
「ダンスを見せるだけじゃなくて、そこに至るまでの物語や台詞も含めて、舞台の上でどんな風に演出したら見る人は夢中になるだろう?」
と考えるようになっていきました。
そして、「自分がやりたいのはダンスだけじゃなく、何かを表現する仕事」ということに気付いたのです。
自分の声や身体を使ってセリフを言う、歌える、踊れる、何もかも表現できる役者という仕事に興味を持つようになりました。
河合優実さんは高校3年生の夏休みに突然、一般の大学から演技の授業がある大学へと進路を変更しました。
役者の道に進むことには賛成していた両親でしたが、演技の授業がある大学への進学は、最初反対されたと言います。
ですが、高校3年生の文化祭の演劇中、河合優実さんはクライマックスで
『夢ぐらい見させろ!』
引用:Numéro TOKYO
というセリフを叫びました。
セリフには演技だけでなく、進路変更への思いも込めていたと言います。
演技を見た母親は河合優実さんの思いに気付いたのか、「もう諦めた」と進路変更を許してくれました。
ただ、芸能界入りが高校3年生と遅くなったことで、同年代の人たちに埋もれてしまうことが心配になった河合優実さんは、少数精鋭の事務所「鈍牛倶楽部」をネットで探し当て、高校卒業直前に所属することになりました。
河合優実さんが進学した大学は、日本大学芸術学部演劇学科です。
しかし、2021年に女優業に専念するため中退しています。
中退の理由として、2020年から流行した新型コロナウイルスの影響で、大学内での実習ができなかったことだと言われています。
せっかく演技系の授業がある大学を選んだのに、実習がないのなら仕事で学んだ方が早いと考えてしまいますよね。
タイミングが悪く残念ではありますが、中退の理由としては仕方がない気もします。
高校3年生時の進路変更で反対していた両親も、中退に関して反対したという記事は見当たらなかったので、河合優実さんの演技力を信じていたのではないでしょうか。
中退後ブレイクを果たしているので、河合優実さんの選択は間違っていなかったと思います。
まとめ:河合優実さんは幼少期から個性的!進学校から芸術系の大学へ進学もコロナの影響で中退!
河合優実さんは、幼少期から個性的で、自分が好きなものや気になったものに集中してしまう性格だったようです。
母親からは協調性が無さすぎて心配されていたようですが、現在女優としてブレイクしていることや、俳優仲間との写真を見ると協調性がある大人になっていると分かります。
小学3年生で妹と同じダンススクールのバレエクラスに通い始めた河合優実さんでしたが、当時はどうしてもバレエが好きになれずに泣いて帰ったことがあります。
母親が気を利かしてヒップホップのクラスに変更したところ、ダンスが好きになれました。
高校時代に打ち込んだダンス部での活動がきっかけで女優を志したことを考えると、ヒップホップのクラスに変更してもらえなかったら、河合優実さんは女優を志すことがなかったかもしれません。
中学卒業後、都立国際高校に進学した河合優実さんは、高校3年夏に女優になりたいと思い立ち、急遽一般の大学から演技系の授業がある大学に進路変更しています。
日本大学芸術学部演劇学科に進学したものの、在籍中に新型コロナウイルスの流行が直撃。
河合優実さんが楽しみにしていたであろう、演技の実習がなくなってしまい、2020年には映画撮影などの仕事が入り始めていたことから、2021年に中退しています。
中退後は新人賞を総なめにしたり、ドラマ「不適切にもほどがある!」でブレイクした河合優実さん。
高校3年時の進路変更に反対していた両親も、現在は河合優実さんの活躍を心から応援していることでしょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。