独特な日本語でおなじみのハーフタレントの滝沢カレンさん。
四字熟語にハマっていた頃には、共演者に対し四字熟語であだ名を命名するという独特な芸も披露していました。
バラエティ番組でよく見るイメージのある滝沢カレンさんですが、独特な日本語がNHKの目に留まったのか、Eテレで放送されている「NHK高校講座 あらためまして ベーシック国語」で2017年からレギュラーを務めています。
滝沢カレンさんは生徒側として出演しており、高校生と一緒に国語を学ぶには最適な人材だとNHKは感じたのでしょう。
滝沢カレンさんのキャラは、どのように作られていったのか気になるところです。
そこで今回は、『滝沢カレンの実家・家族は母子家庭!両親はどんな人だった?家庭ルールが独特で兄弟はいる?』と題して、滝沢カレンさんの実家家族について調査したのでまとめていきます。
滝沢カレンの実家家族構成は?両親の離婚理由は?
滝沢カレンさんは、母親と祖父母に育てられました。
ウクライナ人の父親には1度も会った事が無く、滝沢カレンさんが生まれる前に両親は離婚しています。
衝撃の離婚理由は、何と母親が滝沢カレンさんを妊娠している時に父親が浮気し、ウクライナに帰国してしまったためだそうです。
ドラマや漫画の世界のような、酷い離婚理由ですよね。
両親の離婚の経緯を知っているからか、滝沢カレンさんは父親について、
「超ハッピーな生き別れってヤツです。知りもしない。おなかの中にいる時に生き別れ」
引用:デイリー
と語っています。
祖父が父親代わりとなって育てられ、母親は仕事で多忙だったため、幼少期は祖母がよく滝沢カレンさんの面倒をみていたようです。
子供側の気持ちとしても、浮気するような父親に育てられるくらいなら、祖父母に育てられた方が間違いなく幸せに暮らせたのではないでしょうか。
滝沢カレンの母親はどんな人?バレエスクールを経営していた?
滝沢カレンさんの母親の名前は、宮沢さゆりさんです。
ウクライナ人の夫には浮気されたものの、ウクライナ人が嫌いになったわけではなく、
「ウクライナ人は一番いい。何でもバキバキ言ってくれる」
引用:デイリー
と滝沢カレンさんに力説することもあったそうです。
母親のウクライナ人好きを受け継いだ滝沢カレンさんは、ウクライナ人の彼氏ができたこともあります。
母親は、東京のバレエスタジオ「リビーナ」の代表を務めていました。
母親は幼少期からバレエをしたいと考えていたものの、両親にはバレエを習うことを反対されてしまったためお小遣いをこっそり貯めてバレエを習いに行っていたそうです。
バレエの本場の秘密が知りたいという一心でロシア語を学び始め、ロシアのバレエ団が来日した際は楽屋やホテルに行ってロシア語で話しかけることもあったそうです。
母親は、かなりの行動力の持ち主ですね。
ロシア語を学ぶために語学留学をした後、母親はロシア人バレエ講師の通訳を担当することになります。
ロシア人バレエ講師の傍について、「何故日本でこの教え方ができないのか」と疑問を抱いた結果、バレエスタジオをオープンしました。
語学留学もバレエスタジオオープンも、両親には内緒で行ったそうです。
バレエに対するエピソードを聞いただけでも、母親のキャラの濃さが分かりますね。
バレエスタジオには片言の日本語を話すロシア人スタッフもいたためか、滝沢カレンさんもつられて独特な日本語になってしまったそうです。
2017年には滝沢カレンさんと2人暮らしをしていた母親ですが、2018年7月にガンで亡くなってしまいます。
56歳の若さでした。
母親は医者嫌いだったため、亡くなる1年前に末期のがんが発覚し手遅れの状態でした。
滝沢カレンさんは母親のお葬式で喪主を務め、
「またママの子で生まれてきたいからね」
引用:デイリー新潮
と話していたそうです。
滝沢カレンさんは近しい人にしか母親が亡くなったことを明かしておらず、母親死去の報道があったのもなくなってから1年後のことでした。
母親が亡くなっていたのを隠し、バラエティで気丈に振る舞っていた滝沢カレンさんは、母親譲りの並々ならぬ精神力の持ち主でしょう。
滝沢カレンの祖父母はどんな人?祖母はかなりキャラが濃い?独特な家庭ルールも?
滝沢カレンさんの祖父は賢二郎さん、祖母は澄子さんという名前です。
滝沢カレンさんの父親代わりだった祖父は、とても優しい性格だったそうで、
「目を見れば500円くれるような男だった」
引用:マイナビニュース
と、「徹子の部屋」に出演した際に語っていました。
祖父とは対照的に、祖母はかなり厳しく独特なルールをもっていたそうで、「年に1回しか肉料理は食べられない」「トイレのドアは開けっ放しにする」という他所では聞かない滝沢家ルールがあったようです。
滝沢カレンさんがずっと敬語を使い続ける理由は、祖母の教えにあります。
なんと幼少期から、
「お前は人間の誰よりも底辺だ」
引用:サンスポ
と教えられてきたそうです。
天狗になってはいけないという意味だったとは思いますが、そこから滝沢カレンさんの敬語がうまれ、小学3年生の時には小学1年生に対しても敬語で話していたといいます。
滝沢カレンさんはハーフであることや、小学5年生の時に既に170㎝弱の身長だったことから、同級生から「国へ帰れ」と暴言を吐かれたり、「ダース・ベイダー」とからかわれたりと辛い時期を過ごしました。
悩んだ滝沢カレンさんが祖母に相談したところ、
「大きいんだからやりかえせばいい」
引用:SmartFLASH
とアドバイスをもらったことで、滝沢カレンさんはいじめを克服できました。
祖母は「戸籍抜くぞ」が口癖で、バレエを辞める時や好きな人ができた時、ピアスを開けたいと相談した時に言われたそうです。
もし本当にそれらの行為を滝沢カレンさんがしても戸籍を抜くわけではないと思いますが、祖母の厳しさが分かりますね。
しかし、滝沢カレンさんと祖母の間に亀裂が生じたのは、芸能界入りを目指すと決意表明したことでした。
「1円も持たずに家から出ていきなさい」
引用:SmartFLASH
と言われてしまい、滝沢カレンさんの仕事に理解が無いまま2015年に祖母は亡くなってしまいました。
祖母が亡くなったと同時に実家を売却していることから、祖父は2015年よりも前に亡くなっていたと思われます。
滝沢カレンさんは元実家に住むことになった家主から、祖母の遺品が送付されてきたことがあります。
遺品の内容は滝沢カレンさんのモデルデビュー記念のパネル等の思い出の品で、陰ながら芸能活動を祖母が応援してくれていたことが判明したそうです。
「おばあちゃんの家族でよかった。何回生まれ変わってもこの家族がいい」
引用:SmartFLASH
と滝沢カレンさんは感激していました。
もし祖母が現在も生きていたら、応援しながらも「これ以上芸能界に居続けるなら戸籍抜くぞ」と滝沢カレンさんに声をかけていそうですね。
まとめ:滝沢カレンの母親はバレエスタジオの代表だった!祖父は優しく祖母には厳しく育てられた!
では今回のまとめです。
- 滝沢カレンさんはウクライナ人の父親と日本人の母親の間に生まれましたが、ウクライナ人の父親は浮気により帰国し日本に帰ってきませんでした。
- そのため滝沢カレンさんは、父親に会った事はないそうです。
- 滝沢カレンさんの母親は宮沢さゆりさんという名前で、バレエスタジオ「リビーナ」の代表を務めていました。
- 幼少期にロシア語を学び始め、来日したロシアバレエ団に話しかけたり、両親に秘密でロシアへの語学留学やバレエスタジオをオープンしたりとかなり行動力がある人だったようです。
- 2018年7月に、がんが原因で亡くなっています。
- バレエスタジオ運営に忙しい母親の代わりに、滝沢カレンさんを育てたのが祖父母です。
- 祖父の賢二郎さんは目を見ただけで500円をくれるほど優しい人でしたが、祖母の澄子さんは「戸籍抜くぞ」が口癖のかなりキャラが濃く厳しい人でした。
- 滝沢カレンさんが芸能界入りを目指すと言った際、猛反対した祖母でしたが、元実家からモデルデビュー当時の写真パネルなどの祖母の遺品が見つかり、陰ながら応援していたことが判明しました。
- 祖母は2015年に亡くなり、祖父は祖母よりも前に亡くなっていると言われています。
滝沢カレンさんは2022年7月に結婚を発表するまで、肉親がいないという辛い時期を過ごしたことになります。
滝沢カレンさんの母親も祖母もかなりキャラが濃い人だったので、また新たなエピソードがあれば聞いてみたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。