麒麟の田村裕さんは、中学2年生の時、父親の借金から自宅が差し押さえられ、父親から解散宣言されたことでホームレス生活を経験しています。
自伝が売れた事から印税が2億円入ってきた当時、相方の麒麟の川島さんとの年収は9005万円の差があり、川島明さんの方がいわゆる『じゃない方芸人』と言われてきました。
ですが現在の川島明さんは数多くのバラエティに呼ばれるだけでなく、朝の情報番組のMCに抜擢されるなど、その人気はとどまる事なく、本来持っている実力を披露されていて、あらゆる場面にて大活躍、状況が逆転しています。
最近では、解散したのかなと思われるほど、川島明さんと比べると、麒麟の田村裕さんの姿をレビであまり見かけない為、どうされているのでしょうか。
という事で、今回は、麒麟の川島明さんの相方で自伝『ホームレス中学生』の著者、田村裕さんの現在(今)について、年収や仕事内容・結婚や子供などを調査していきたいと思います。
それでは、一緒に見ていきましょう♪
麒麟 田村裕のプロフィール
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田村 裕(たむら ひろし)
生年月日: 1979年9月3日
出身地: 大阪府吹田市
血液型: O型
身長: 180cm
事務所: 吉本興業
活動時期: 1997年 –
幼い頃から「芸人になりたい」という夢を持っていた麒麟の田村裕さん。
小中高校時代は、ずっとバスケ部に所属していました。
麒麟の田村裕さんは、バスケが大好きだったのですが、バスケ選手になれるほどの実力はなかった事や、ダウンタウンさんが好きだった姉の影響で、幼い頃から、いつに間にか「芸人になりたい」と思うようになっていたそうです。
そして、高校卒業後に、吉本の養成所NSCに入所します。
NSCでは授業が始まり、コンビ組むことが多いそうです。
そこで、相方となる川島 明さんと運命の出会いをします。
養成所に入所した時、田村 裕さんは貧乏で汚かったと本人が言っているのですが、一方、川島さんも・・・田村さんが声をかけるのを迷うくらい『引きこもりオタク』だったそうです。
逆に、そこが余計に気になったのだとか。
川島さんが1人でやっていたネタを見て、運命を感じ「コンビを組んでもええで」と田村さんが声をかけ、コンビが結成しました。
ちなみに、川島明さんは「明るいバカ」を相方に探していた事から、田村さんへの運命は感じなかったのだとか( ´艸`)
コンビを結成すると、川島明さんは髪を染めるなど、根暗からのイメチェンを試みました。
そんな出会いを経てコンビとなった「麒麟」は、芸歴2年目にしてM−1の決勝にあがり、トントン拍子で「人気芸人」の階段を上っていきました。
麒麟 田村裕はなぜホームレスになった?
しかし、田村さんが小学5年生の時に母親が直腸がんで他界すると、借金はさらに増えていきました。
心労から父親まで直腸がんを患ってしまい、早期発見だったことから手術で完治したものの、入院中に勤めていた会社をリストラされてしまいました。
再就職先が見つからなかった父親は、子供3人を養っていく事は出来ないと判断し、なんと、「これからは各々頑張って生きてください」と解散宣言をしたのです。
家族4人はそれぞれの道を生きていく事になりますが、中学生だった田村裕さんはホームレスにという道しか、思いつかず、周辺の公園に住み着いて雑草や段ボールを食べて、飢えをしのいでいました。
ちなみに、田村裕さんが中学生の時に寝ていた公園は、山田西第2公園(通称:まきふん公園)だそうです。
その後、中学校時代に公園でホームレス生活をしていた田村裕さんを不憫に思った、高校時代の友人の母親が、なんと住む部屋を借りてくれた事から再び、兄と姉と3人で生活する事ができるようになります。
さらに、この当時からは生活保護も受給し、人間らしい生活がスタートしました。
『ホームレス中学生』誕生秘話
さすが、FUJIWARAの原西さん。
頭のいい人は、何がウケるのかを本能で感じるんですね。
そこで田村さんは「せっかく先輩からアドバイスをしてもらったから、1度、舞台で話してみよう!」と試みたところ、観客から笑いが起こったのです。
その成功体験から、バラエティ番組でも、自身の壮絶な生い立ちやホームレス体験話をするようになり爆笑を集め、「本にしないか」と出版社からオファーがくるようになりました。
当時、コントのネタも麒麟の田村裕さんは書いた事はなく、自分が文章を書けるとは思えなかったそうです。
そこで、事務所の人から、普段ネタを書いている川島さんに代理で執筆してもらってはどうかと提案がありましたが、川島さんが、「僕が書くのは違う」と断った事と、自分としても、人に書いてもらうのは違うのではないかと思い、仕事の合間に執筆を始めたそうです。
お二人ともなんだかカッコいいですね!
そして、その思いが熱量となり、2007年に自伝『ホームレス中学生』が完成すると200万部を超えるベストセラーとなり、映画化される程注目を集めました。
麒麟 田村裕の印税2億の行方は?
2007年に発売された自伝『ホームレス中学生』の印税については2億円でしたが、税金が億を超えると55%も取られるそうで、1億1000万円の税金が課せられ、自分の手元に入ってきた金額は約9000万円だったそうです。
そして、そして、今現在はその印税がすべて無くなり、底をついてしまったのだそうです。
9000万円の使い道については、再会できた父親に家を買ってあげたり、当時お世話になった方々に恩返しをしたりで、全て使ってしまったのだそうです。
また、印税生活をしていた時に、30万円の家賃に住んでいた事でも、みるみるお金が無くなっていき、現在は10万円の賃貸に引っ越しをしたそうです。
お金が増えるとつい、家賃を増やしてしまいがちになってしまう気持ち、わかります・・・
でも、まずは、自分の為というよりも、周囲への感謝の形にお金を使った事は、素晴らしいお心ですね。
麒麟 田村裕の今現在の年収・収入は?
ホームレス中学生バブルが鎮火し、テレビで以前程は呼ばれなくなってしまった麒麟の田村裕さん。
本の売れ行きが落ち着くと同時に、メディアの出演も激減してしまいました。
2017年に出演したテレビ朝日系の深夜番組で、このままでは暮らせないと気づき、後輩の居酒屋さんで2012年頃からアルバイトを数年程されていたと語られました。
現在はアルバイトを卒業し、2017年で話していた頃のお給料は、月収50万円~80万円ほどになったそうです。
ちょうと40~50代の役職がついたサラリーマンくらいのお給料がもらえるようになった感じですね。
好きな事で、それだけ稼げるって幸せだなことだなって思いますが、貴方はどう思いましたか?
麒麟 田村裕の仕事・収入源はどこから?
— 麒麟田村裕 (@hiroshi93) June 1, 2021
幼少時代から高校生までバスケに夢中だった麒麟の田村裕さんは、現在、そのバスケへの深い愛から、各地でバスケ教室のプロデュースや指導に携わるお仕事をされています。
バスケを観戦することの面白さや、その魅力を世の中に知ってもらいたいという想いで始め、現在では、『週8でバスケをする芸人』と言われるほど、バスケットボール関連の仕事が増えてきているそうです。
「本が売れた後、その反動か仕事が少なくなった時期がありました。家にいてもやることがない。知り合いのお店でバイトしたこともあったのですが、顔バレしてしまって仕事にならない。時間があることだし何かやってみようと思い始めたのが、バスケットボールの観戦でした」
また、相方の川島明さんが番組で、田村さんがバスケばかりしていると、イジってくれたおかげで、周知され、バスケ関連の仕事がグーンと増えたとか。
その結果、麒麟の田村裕さんのYouTubeチャンネルでは、日本のプロチームの取材を積極的に行い、今でバスケの世界になくてはならない存在にまでなっているそうです。
すごいですね!
麒麟 田村裕 結婚は?子供について
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麒麟の田村裕さんのプライベートでは、2011年に、8歳年下の一般女性と結婚をされています。
結婚当初には、本の印税を使い切ってしまっていた事から、奥様の機嫌がわるくなり喧嘩も絶えなかったようですが、2020年2月には第三子が誕生してる事から、夫婦仲は順調な事が伺えますね。
子供さんについては、3人います。
2014年7月に第1子長女、2017年1月に第2子次女、2020年2月に第3子長男が誕生しています。
イクメンぶりも披露されていて、夫婦円満なようですよ(*^▽^*)
[料理動画・チャーハン]おんぶ飯!https://t.co/aXTjVzEij6 pic.twitter.com/3m7w4L1UtE
— 麒麟田村裕 (@hiroshi93) June 5, 2021
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大先生となった田村さんは、相方の川島さんより売れていた事から、川島さんの肩身が狭かった時期があり、仲が良くない時を乗り越えて今やっと対等になれたのではないでしょうか。
世間的には、川島さんの方が売れていて今はすごいと思われているかもしれませんが、共に売れている時期がずれているのは、逆に売れている方にひっぱられ上がっていく運勢も持ち合わせたコンビでもあるように感じます。
残念ながら、麒麟の田村裕さんのお父様は、親孝行をしている途中の、2015年に他界されてしまったそうですが、自分を捨てた父親に親孝行をする姿勢が素晴らしく感銘を受けました。
『ホームレス中学生』というブームが過ぎ、花火のように鎮火してしまった今、やはり世の中に必要な物を生み出し続ける事が大切だという事を、田村さんの経験から感じ取る事ができます。
バスケ関連の仕事でも成功していただき、次は、『ホームレス中学生のその後』という自伝が出せるように素敵な人生を送ってください。
マイベストフォー・ユーは、これからも麒麟のお二人を応援しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。