ヒコロヒーさんは2021年から冠番組「キョコロヒー」という深夜番組でMCを務めているお笑い芸人です。
冠番組を続けていくにつれ、愛称「国民的地元のツレ」として大ブレイク。
2021年には「女芸人No.1決定戦 THE W』で決勝進出を果たしました。
ヒコロヒーさんの独特な世界観や言語センスには、様々な出版社から執筆依頼がきているようです。
2021年8月4日にはヒコロヒー初のエッセイ集「きれはし」を出版し、メディア以外にも活動範囲を広げています。
今回はヒコロヒーさんの実家家族や、実家がお金持ちであるという噂について調査してたのでまとめていきます。
ヒコロヒーの実家・家族構成は?実家がお金持ちという噂の真相は?
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ヒコロヒーさんの家族は、今のところ両親だけで、兄弟に関しては明かされていません。
ヒコロヒーさんは兄弟について言及したことや、写真を出したことがないため、一人っ子ではないかと考えられています。
もしかしたらメディアが嫌いで、一切の情報を出したくないと思っている兄弟がいるかもしれませんが、ヒコロヒーさんからの情報を待ちたいですね。
また、財閥の娘であるというヒコロヒーさんの噂の発端は、ヒコロヒーさんの本名が、広瀬ひろこではないかという憶測が立ったことや、住友グループの初代住友総理人が広瀬宰平であり推測された本名が同じではないかという憶測、ヒコロヒーさんの故郷である愛媛県新居浜市には広瀬宰平に関する記念館が多数あることから生まれたようです。
そもそも、ヒコロヒーさんの本名が広瀬ひろこという憶測が嘘の可能性が高いため、住友グループの関係者であるという情報の信憑性は薄いのではないでしょうか。
ヒコロヒーさん本人も、特に芸名について意味がないと話したことがあります。
また、ヒコロヒーさんは中学・高校時代に「シャレにならない反抗期を迎えた」と語ったことがあり、不良生徒と喧嘩していたようです。
もし、住友財閥の関係者なら、学生時代荒れていたエピソードは隠しそうですよね。
そのため、実家が財閥関係者という噂については信憑性が低いように感じました。
ただ、ヒコロヒーさんの実家が財閥ほどではないにしろ、お金持ちでありそうなエピソードはいくつかあります。
学生時代お金持ちが多い学校に通っていた為、体操服をエルメスのバッグに入れて登校していたり、10代でフランスまで美術鑑賞のために旅行にしたりと言うものです。
ヒコロヒーさんは自身の家族についてあまり話しませんが、エピソードを聞いていると財閥関係者ではなくても、実家がお金持ちだったことが想像できます。
ヒコロヒーの父親はどんな人?あまり関わったことがない?
ヒコロヒーさんの父親は一般人で、年齢・職業・名前・顔写真は明かされていませんでした。
父親はヒコロヒーさんの幼少期、ほとんど仕事で空けていたため父親についてほとんど何も知らないまま育ったそうです。
食卓を一緒に囲むこともなく、父親の性格についても知りませんでした。
このレベルで多忙だったということもあり、父親は会社の重役か転勤族だったのではないかとも想像できますね。
とはいえ、ヒコロヒーさんも父親がいない状態で過ごしたことで、寂しいと感じたこともありそうですよね。
父親について大人になってからもほとんど関わりが無かったヒコロヒーさんですが、やっと父親と会話する機会が訪れます。
父親がなんと数年前に脳卒中で倒れてしまったのです。
集中治療室で一命をとりとめた父親の元に、ヒコロヒーさんと母親が入室後、父親といつぶりか分からないぐらい久しぶりに話すことになったヒコロヒーさん。
まさか父親が倒れた後が久々の会話になるとは思わず、不思議な感覚になったと言いますが、
「お父さん大丈夫…?」
引用:Sirabee
と話しかけたところ、父親からは、
「びっくら、びっくら、びっくらぽんよ〜」
引用:Sirabee
とまさかのボケながらの返答。
思わぬタイミングで父親の陽気な一面を知り驚いたヒコロヒーさんは、
「集中治療室でボケるような真似をしないでおこう」
引用:Sirabee
と決意したそうです。
このエピソードが披露されたのは、「人志松本の酒のツマミになる話」に出演した際のことでしたが、共演者も父親が倒れたところまでは感動エピソードが繰り広げられると思っていたので、まさかのオチに驚いた様子でした。
久々の会話をきっかけに、父親と親子の絆を築けたらいいですね。
ヒコロヒーの母親はどんな人?怖かったって本当?
ヒコロヒーさんの母親も一般人のようで、名前・年齢・職業・顔写真は公開されていませんでした。
父親が多忙な生活を送っていたことから、母親は結婚後専業主婦になった可能性が高そうですね。
母親は父親の陽気な性格や、仕事に真面目な性格に惹かれて結婚したのではないでしょうか。
ヒコロヒーさんは自身の母親について、「花とお料理が大好きで、穏やかなおかん」と語ったことがあります。
父親がほとんど家庭にいなかった寂しさを、母親がうまく埋めていたのではないかと思います。
幼少期いじめにあったヒコロヒーさんは、母親から「悔しくないの?やり返しておいで!」と言われたこともあり、穏やかながらもやられっぱなしは気に食わない性格であることも想像できます。
この発言に対し、ヒコロヒーさんは大人になってから新事実を知ることになります。
なんと、母親は高校時代竹刀を持って歩きまわっていたという話を明かされたのです。
母親の友人からこの話を聞かされたヒコロヒーさんは、「母親には一生勝てない」と感じたと言います。
ヒコロヒーさんも中学・高校時代になかなかの反抗期を迎えていたことから、母親の遺伝子は受け継がれたようですね。
ヒコロヒーさんは、現在ドラマで母親役を演じることが増えています。
オードリーの若林正恭さんと南海キャンディーズの山里亮太さんの半生を描いたドラマ番組「だが、情熱はある」では、山里亮太さんの母親役を演じたヒコロヒーさん。
山里亮太さんの母親はかなり褒めて伸ばすタイプだったため、ヒコロヒーさんはドラマでも「すごいねー」というセリフを連呼することになりました。
セリフが印象に残ったドラマ視聴者や、ヒコロヒーさんのファンから話しかけられた際は「すごいねー」を求められるようになったそうです。
先輩芸人からも「すごいねー」を求められ、1番反応がよかったのはパンサーの慧さん。
慧さんから「ドラマ見てるよ」と声をかけられたヒコロヒーさんは、
「そんな忙しいのにドラマまで観て、すごいねー」
引用:Sirabee
と返したところ「うわー!」と拍手しながら喜んでくれたそうです。
「めっちゃ喜んでくれて。ワシも…なんか『調子乗んな』とか言われると思ったら…」
引用:Sirabee
と思わぬ反応に戸惑ってしまったヒコロヒーさんでしたが、どんどん「すごいね」を言っていくことにしました。
インスタグラムで赤ちゃんを抱っこしている写真を投稿した際も、ファンから母性が凄いと評判だったヒコロヒーさん。
現在の母親役オファー急増は、自身の母親が世間が求める理想な母親だったからこそ成り立っているのかもしれません。
まとめ:ヒコロヒーの父親は幼少期ほとんど家庭にいなかった!母親は穏やかだけど元ヤンキー!
ヒコロヒーさんが財閥の娘だという噂はありますが、今のところ憶測にすぎません。
ですが、10代でフランス旅行に行ったり、学生時代は体操服をエルメスのバッグに入れていたことから、普通の人よりは恵まれた生活をしていたのかなと感じます。
ヒコロヒーさんの父親は仕事で忙しく、幼少期にあまり関わってこなかったそうです。
父親の性格について知ることになったのは、父親が脳卒中で倒れた時です。
母親と入室し、体調が大丈夫か確認したところボケた返事をされ、陽気な一面があることを初めて知りました。
ヒコロヒーさんは、母親について花と料理が好きで穏やかな人だと語っています。
しかし、大人になってから高校時代に竹刀を振り回しながら校舎を歩いているほどのヤンキーだったことを知らされ、ヒコロヒーさんは驚いたそうです。
ヒコロヒーさんはあまり実家家族について語ることが無く、まだまだプライベートに謎が多い人物です。
家族のエピソードについて、また可能な限りで聞いてみたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。