こんにちは!あいです。
福岡を拠点に活躍し、その名を全国に広げ、国民的お笑いコンビとなった『博多華丸・大吉』さん。
児玉清さんのモノマネをきっかけに全国的に大ブレイクし、常に順風満帆に見える二人ですが、30年以上もの長い芸歴の間には、福岡への想いやこだわりが強かっただけに、様々な葛藤もあったようです。
現在は、NHK朝の情報番組で、平日毎朝、そのお顔をお見掛けするようになりましたね。
時に興味ない言動もありますが、基本優しい口調でMCをされてると、『吉本工業のお笑い芸人さん』という事を忘れてしまいそうになります。
そんなお二人の「原点を知りたい」と思った方も少なくないのではないでしょうか。
という事で、今回は、『博多華丸・大吉のコンビ結成秘話や改名した理由が凄い!ブレイクのきっかけは意外な芸人だった』について、1分で読めるようにポイントをご紹介します。
<この記事で分かる事>
- 博多華丸・大吉の二人の出会い。
- 博多華丸・大吉が吉本興業に所属した理由・きっかけ。
- 博多華丸・大吉が改名した本当の理由。
- 博多華丸・大吉がブレイクのきっかけは刺激を受けた意外な相手だった。
ぜひ最後までお読みくださいね!
博多華丸 プロフィール
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名前:博多華丸
本名:岡崎 光輝(おかざき みつてる)
生年月日:1970年4月8日
出身地:福岡県福岡市早良区出身
血液型:B型
身長:173㎝
出身校:・福岡大学附属大濠高等学校卒業 福岡大学工学部中退
所属事務所:吉本興業 お笑いコンビ博多華丸・大吉のボケ担当
『R-1ぐらんぷり2006』で優勝しブレイク
R-1とTHE MANZAIの両方で優勝した事のある唯一の芸人
博多大吉 プロフィール
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名前:博多大吉
本名:吉岡 廣憲(よしおか ひろのり)
生年月日:1971年3月10日
出身地:兵庫県神戸市生まれ、福岡県古賀市育ち
血液型:O型
身長:182㎝
出身校:福岡県立光陵高等学校・普通科卒業 【福岡大学・経済学部 未払い除籍】
所属事務所:吉本興業 お笑いコンビ博多華丸・大吉のツッコミ担当
『R-1ぐらんぷり2006』で優勝しブレイク
博多華丸・大吉との二人の出会い
本当は、博多大吉さんの方は、プロレスの大ファンだった事から大学に入学した際、プロレス研究会に入部したかったのですが、福岡大学にはプロレス研究会がなく、「それであればどこか、お笑いのサークルはないかな」と探してたところ、応援団の熱心な勧誘に遭ってしまいます。
断れきれず、応援団に入部させられそうになったところ、助けを求めに駆け込んだ隣の部室が、落語研究会だったそうです。
そこで、相方の博多華丸さんに出会いました。
これが博多華丸・大吉のお二人の最初の出会いであり、まさに運命の出会いとなりました。
博多華丸・大吉が仲良くなったきっかけ
博多華丸・大吉のお二人が仲良くなったきっかけは、落語研究会の厳しい上下関係に嫌気がさしていたという共通点から、意気投合した事でした。
共に、お笑い関係のサークルに入りたかった二人は、「ゆるい上下関係」と聞いてた落語研究会に入りましたが、実態は真逆で、上級生のかばん持ちさせられるなど、非常に厳しい上下関係が存在していたのです。
お互い、サークルの愚痴を言い合う関係になり、これがきっかけで同期で一番仲良くなっていったそうです。
博多華丸・大吉が吉本芸人になったきっかけは?
■ 博多華丸・大吉 (鶴屋華丸・亀屋大吉)
1990年結成。1993年に『とことんサンデー』のメインMCに抜擢、地元・福岡の中高生から一躍人気を獲得。2004年には屋号を改名、翌年2005年に東京進出を成し遂げ、2006年に華丸が「R-1ぐらんぷり2006」優勝、コンビとしてもブレイクを果たした。@retoro_mode pic.twitter.com/MxFRb4PXs9— 冗談絵巻 – JODAN EMAKI – (@3vMaFkTDSortYAl) October 26, 2020
大学時代に怪しい芸能事務所からスカウト
大学の落語研究会に所属すると、博多華丸さんと博多大吉さんは、サークル活動を紹介する地元のタウン誌に代表として選ばれ、インタビューを受ける事となりました。
地元のタウン誌の記事で「お笑いやっています」という紹介が掲載されると、「ヒグチ興業」という事務所からスカウトがきました。
二人はは面接に呼ばれましたが、面接場所が極小なマンションの一室であった事や、「ヨッチャン・オカチャン」と言う芸名を突如付けられ、さらにその事務所の東京から来た社長の見た目が怪い事から、二人は怖くなったそうです。
話がトントン拍子に進み、断り切れなくなりそうなタイミングで、ちょうど福岡に吉本興業福岡事務所が開設され、すがる思いで、吉本興業のオーディションを受けました。
しかし、この時、受かったのはカンニングの竹山さんで、二人は不合格でした。
ところがラッキーにも、福岡に進出したばかりの吉本興業が公演をやるには、当時まだ人手が足りず、二人は繰り上げ合格をし、無事吉本に所属する事ができたのです。
「とりあえずこれ受けて吉本に行きたいと。ヒグチ興業から逃げる形で吉本に行った」
その後、吉本興業とヒグチ興業の話し合いが行われ、無事、博多華丸・大吉のお二人は吉本興業に入る事ができたそうです。
吉本興業に助けられましたね(*^▽^*)
そして1990年「華丸・大吉」としてデビューしますが、すぐに芸人と分かるようにと「鶴屋華丸・亀屋大吉」に改名してスタートをきったそうです。
博多華丸・大吉が「鶴屋」から「博多」へ改名した理由
そのきっかけは意外なことでした。
1990年のデビューから「鶴屋華丸・亀屋大吉」として活動していましたが、ある日、吉本興業の福岡事務所の、占いができる女性パート職員が退職するタイミングで、こんな事を言われます。
「最後に1つだけ言わせてください。このままでは絶対に売れない」「芸名がとにかく悪い。鶴屋華丸は0点。亀屋大吉は口に出せないくらいひどい。1つ良い名前があるのでこれを付けてください」
「博多華丸・大吉に名前を変えて、2年以内に東に行ってください。あなたたちは絶対に成功します。2005年に行けば華丸さんの運がとにかく良い。2006年に大きなものをつかむ」
と、助言されました。
2人はその助言通りにしがったところ、たちまち運をつかんでいき、その後、数々の賞を受賞しています。
・2005年10月『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」優勝
・2006年年2月に「R-1ぐらんぷり優勝。(華丸さん出演、脚本 大吉さん)
・2010年、ダイナマイト関西 2010 secondで優勝。
・2011年、ダイナマイト関西 GWで優勝。
・2014年、THE MANZAIで優勝
・2015年、IPPONグランプリで優勝
・2016年、ダイナマイト関西 2016で優勝
その職員さん、すごいですね。
今どうしているんでしょうか。
占い師さんとして活躍されているかもしれませんね!
博多華丸・大吉のブレイクの原点・本気になったきっかけはヒロシ
デビューして早い段階から地元テレビ局でレギュラー番組を持つようになった博多華丸・大吉のお二人は、福岡で順風満帆な芸人生活を送っていました。
最初はそれほど野心家と言うタイプでもなく、事務所からも、「博多弁では東京での成功は難しい」という事から、福岡を愛している二人は、長いこと、地元福岡を拠点にしていました。
ちなみにこの頃、野心家のカンニング竹山さんは、1年で福岡の吉本を辞め、上京していったそうです。現在はサンミュージックプロダクションに所属しています。
博多華丸・大吉のお二人は、2004年に日本テレビ系「エンタの神様」に出演しブレイクした竹山さんにも、刺激を受けたそうですが、一番刺激を受けたのは、ピン芸人だったヒロシさんでした。
「竹山はまだ東京の言葉使いだったし、同期やからまだ許せた。でもヒロシは許せません(笑)! いや、嫌いとかじゃなくて、博多弁が全国でウケるのを目の当たりにして、これはエライこっちゃ! と」
華丸さん
博多華丸・大吉の二人にとって、ヒロシさんは、福岡吉本の6個下の後輩にあたります。
当時、ヒロシさんのお笑いとしての才能は、箸にも棒にもかからない程でしたが、東京でホストになって売れなくて、それをネタにライブに出ているうちに、ブレイクしたのです。
東京でしかも博多弁で売れたヒロシさんを見て、竹山さん以上に刺激を受けたそうです。
華丸さんにとって、特に博多弁で芸をやるという事にこだわりが強かったようですね。
「じゃあ、一回東京行って『エンタの神様』か、何かしらの東京の全国区の番組出て(福岡に)戻って来ようと。そしたらヒロシみたいにウケるんじゃないかっていうことで(東京に)行こうって決めたんです。それが35歳です」
博多弁で舞台に立ち、全国の観客を沸かせているヒロシさんの姿を目の当たりにし、刺激を受けた事で火が付いた博多華丸・大吉のお二人。
そして運勢通り、2005年に上京を果たし、その後は先述した通り、全国にその名を広げる事となりました。
博多華丸・大吉『R-1ぐらんぷり』優勝 秘話
R-1ぐらんぷり2006 博多華丸さんの優勝ネタ🎉🎊✨
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— かなこ (@kanako_arsgyu02) February 28, 2017
出場した『R-1ぐらんぷり2006』の決勝前日に、博多華丸さんが突如、ネタを変更すると言い出したそうです。
博多華丸さんは、2006年当時、東京に進出したばかりで、どうしても「博多のおじさん」という新ネタをしたかったそうです。(←ここでもやはり博多愛)
ですが博多大吉さんは、「児玉清さんのモノマネで決勝もやるべきだ」と言っていい聞かせます。
2人はこの時、双方意見が合わず険悪な雰囲気になりましたが、最終的に、博多華丸さんが折れ、児玉清さんのネタをやることにしました。
それがとてもウケ、『R-1ぐらんぷり2006』で見事優勝したのです。
華丸さん、大吉さんに頭が上がりませんね(*’▽’)
ちなみに、この年は、その占いができる女性職員によると、博多大吉さんの運勢が良かったようで、大吉さんの意向に従ったのが功を奏したのかもしれませんね。
2人は運勢の良い波に乗れた事が、大ブレイクの秘訣だったのです。
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博多華丸・大吉のコンビ結成秘話(出会い)や改名した理由が凄い!ブレイクのきっかけは意外な芸人だった まとめ
いかがでしたか。
博多華丸・大吉さんの原点を探るべく、
・博多華丸・大吉の二人の出会い。
・博多華丸・大吉が吉本興業に所属した理由・きっかけ。
・博多華丸・大吉が改名した本当の理由。
・博多華丸・大吉がブレイクのきっかけは刺激を受けた意外な相手だった。
について、ポイントをご紹介しました。
ヒロシさんに刺激を受けたとは意外でしたね。
そのヒロシさんも、博多華丸・大吉さんのお二人以上に、常に葛藤されていると思いますが、共通点は、お笑い芸人の仕事が好きという事ではないでしょうか。
昨今の暗くなりがちな世の中に笑顔を届けてくれる、お笑いの世界は、今最も必要なパワー源ともいえると思います。
博多華丸・大吉さんの二人がこれからも活躍されますよう、マイベストフォーユーは、これからも応援してまいります。
この記事が、貴方の何かお役に立てたら幸いです。
と言う事で今回は最後までお読みいただきありがとうございました。