毎熊克哉さんは、「万引き家族」や「空飛ぶタイヤ」などの話題作で好演し一気に知名度を上げたカメレオン俳優です。
テレビドラマ「私の奴隷になりなさい」で主演を務めた際は、ご主人様役を演じ切り視聴者に衝撃を与えました。
幼少期から映画が好きだったことで知られている毎熊克哉さんは、元から俳優を目指していたのではないかと思われがちですが、元々学生時代は違う職業を目指していました。
今回は、毎熊克哉さんが通っていた学校や、学生時代のエピソードについて調査しましたのでまとめていきます。
毎熊克哉さんの学歴①出身小学校はどこ?まさかの人が同級生だった!?映画界を志す印象的な出来事も!
毎熊克哉さんが通っていた小学校は、広島県福島市にある公立小学校だと言われていますが学校名までは特定されていません。
小学校時代エピソード
3歳の頃、毎熊克哉さんは映画「E.T.」を見てから映画製作に興味を持ちだしたそうです。
その後も映画好きが変わることはなく、小学5年生の頃、社会現象を巻き起こすほどの大ブームを起こしていた映画「タイタニック」を2回も観に行ったと語っています。
1回目は母と妹と一緒に、2回目は1人で観に行ったそうです。
小学5年生で映画を複数回観に行くというのは、なかなかできないことのような気がしますね。
現在も「タイタニック」を自分の強い意志で2回観に行ったというのは、思い出に残っているそうで、毎熊克哉さんは貴重な原体験だと語っています。
幼少期に映画を好きになっていなければ、現在毎熊克哉さんは俳優として活動していなかったかもしれませんよね。
また、インスタグラムには、本格的に毎熊克哉さんが映画界への道を決意したと思われる小学生時代の話が投稿されていました。
「小学校の時に映画の撮影隊がきていて監督にいつか一緒に撮ろうと言ってもらったのも尾道」
引用:インスタグラム
偶然地元に来ていた映画の撮影隊に会って監督から声をかけてもらったことも、小学5年生にして「タイタニック」を2度観に行ったことも、毎熊克哉さんが映画界を志した要因になっている気がしますね。
毎熊克哉さんは、現在元サッカー日本代表の森脇良太選手と同じサッカー少年団に所属していそうです。
森脇良太選手は、毎熊克哉さんについて
「地元の同級生たちが色々な場所で活躍してるのを見るといつも以上に刺激を受けるな〜‼︎」
引用:X
とXに投稿していましたが、毎熊克哉さんは、
「同じチームと言っても格が違います。
森ちゃんは広島県内を飛び越えるスーパーエース。
私は下手くそ過ぎてチームの足をひっぱるエース。」引用:X
と謙遜していました。
いつかサッカー関連の番組で、同級生共演も見てみたいですね。
毎熊克哉の学歴②出身中学校はどこ?
毎熊克哉さんが通っていた中学校は、小学校と同じく広島県福島市の公立中学校だと言われていますが特定はされていません。
中学校時代エピソード
中学校も森脇良太選手と同じ学校に通っていたようですが、サッカー少年団は一緒ではないと森脇良太選手が語っていることから、毎熊克哉さんは中学校でサッカーはやっていないようです。
毎熊克哉さんは、中学生時代の思い出についてあまり語ることはありませんが、
「中学校の時に友達たちと深夜に出かけて雨のように降る流星群を見たのも尾道」
引用:インスタグラム
と語っていたため、天体観測にハマった時期があったのかもしれません。
毎熊克哉の学歴③出身高校はどこ?高校時代からはダンスにもハマる!
毎熊克哉さんが通っていた高校は、福山市にある銀河学院高校であることが明らかになっています。
出身高校HP:銀河学院高校
アクセスマップ
高校時代エピソード
中國新聞では、銀河学院高校の卒業生として毎熊克哉さんが特集されたことがあります。
毎熊克哉さんはインドア派でしたが、高校1年生からストリートダンスにのめりこみました。
毎熊克哉さんの母親は元ダンサーでありジャズダンスやバレエをカルチャースクールで教えていました。
高校1年生秋頃、母親がストリートダンスのレクチャービデオを見ていたところ、毎熊克哉さんは映像に衝撃を受け、見よう見まねでダンスを始めます。
授業が終わった後は、すぐに別の高校の同級生と集合し、ストリートダンスを練習していたそうです。
夜中まで練習に没頭していたため、授業中は寝てばかりになってしまったとか。
毎熊克哉さんはダンスや友人と過ごした高校生活の思い出を、人生の糧になっていると語った一方、もう少し勉強を頑張ればよかったと後悔しているようです。
高校3年生の時には、母が講師を務めていたカルチャースクールの発表会の舞台にも立ちました。
プロフィールの特技欄にもストリートダンスと書いており、現在も毎熊克哉さんはストリートダンスを行っていると思われます。
インスタグラムの投稿によると、毎熊克哉さん高校の時に初めて彼女ができたようです。
ストリートダンスにのめりこんだり恋愛を楽しんだりと、毎熊克哉さんは濃い高校時代を送ったようですね。
毎熊克哉の高校卒業後の進路は?大学は?一度映画界を挫折した?
毎熊克哉さんは高校卒業後、幼少期からの夢だった映画監督を目指すために上京し、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校に進学しました。
2021年4月から、学校名は東京俳優・映画&放送専門学校に変更されています。
専門学校HP:東京俳優・映画&放送専門学校
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2024年5月23日には、俳優科の1~3年生と話す機会が設けられたものの、「あまり目立たない生徒だったから参考になるか分からない」と謙遜気味でした。
最初は「撮影のことが分かった方がいい」と考えて撮影照明専攻に入学したものの、隣の教室から監督専攻の授業が聞こえてきたため、羨ましく思っていたそうです。
「やはり自分が学ぶべきなのは、映画作りの指揮の仕方だ」と気付いた毎熊克哉さんは、2年生の時に監督専攻に転科しています。
しかし、現在毎熊克哉さんは、俳優をしていますよね。
なぜ映画監督にならなかったかの理由については、
「僕が役者さんに演技のイメージをうまく伝えられなかったから。在校中に僕が監督した映画で、僕のイメージに沿って役者さんに演じてもらいたいんだけど、伝え方がヘタで伝わらない。面倒だから自分で演じてみよう、と。」
と語っています。
専門学校での経験がすぐに生かせなかったのは残念ですが、毎熊克哉さんが俳優として注目されるようになったきっかけは、専門学校時代の同級生で監督の小路紘史さんと一緒に自主制作した映画「ケンとカズ」だったそうです。
この映画で小路紘史さんは長編デビューし、「第28回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門」で作品賞を受賞。
毎熊克哉さんも「第71回 毎日映画コンクールスポニチグランプリ」で新人賞を受賞し、他にも賞を立て続けに受賞しました。
専門学校時代の人脈が無ければ、毎熊克哉さんは多くの俳優の中で埋もれてしまったかもしれません。
まとめ:毎熊克哉は幼少期から映画好き!高校時代はストリートダンスにドハマり!映画監督を目指して上京!
では今回のまとめです。
- 毎熊克哉さんは3歳の頃から映画が好きで、小学5年生の時に「タイタニック」を2度映画館に観に行ったそうです。
- 映画好きなだけでなく、地元に映画の撮影が来ていたことも毎熊克哉さんが映画界を目指した理由だと思われます。
- 小・中学校は、元サッカー日本代表の森脇良太選手と同じ学校に通っていたことが、2人の公式Xから明らかになっています。
- 高校時代はストリートダンスにのめりこみ、深夜まで他校の同級生と練習にのめり込んだと語っており、初めての彼女も高校時代にできたとか。
- かなり濃い高校生活を送っていそうですね。
- 高校卒業後は映画監督を目指して専門学校に進学しましたが、俳優に演技のイメージを伝えられなかったことが理由で、俳優に転身しました。
最近は、俳優が監督も務める映像作品も出てきていますから、毎熊克哉さんが映画監督を務めた場合はどんな作品ができるのか見てみたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。