こんにちは!あいです。
バレリーナとして、日本のみならず世界でも活躍されてきた草刈民代さん。
バレリーナ―の現役時代である1996年に、映画「Shall we ダンス?」で主演を務め、凛とした美しさが話題となりました。
その後も、バレエ界で活躍したのちに、43歳で引退しましたが、海外で主演まで勤めた草刈民代さんは、なぜあの時期に引退をしたのでしょうか。
そこで今回は、元バレリーナで現在女優の草刈民代さんのバレエを引退した理由や、バレエを知っている人から見た草刈民代のバレエの実力や海外の評価について調べてみました。
ぜひ最後までお読みくださいね!
草刈民代 wiki風プロフィール
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生年月日:1965年5月10日
出身地:東京都新宿区出身
血液型:B型
身長: 168 cm
配偶者:周防正行
所属事務所:ワタナベエンターテインメント
東京中央製版の社長を務める、裕福なご家庭の三姉妹の長女として誕生した草刈民代さん。
札幌オリンピックで「銀盤の妖精」と呼ばれたフィギュアスケーター、ジャネット・リンの踊りに魅了されたことがきっかけで、8歳より小林紀子バレエアカデミーに入門し、バレエを始めました。
稽古初日から、私のなかには「大人になったら踊る人になるために、今から訓練をするんだ」という意思がありました。
キャリアについての続きを読む。(※草刈民代さんの生い立ちやバレリーナを目指したきっかけ、映画『Shall we ダンス?』抜擢の理由については別の記事でご紹介しています。)
草刈民代 バレエの実力は?
草刈民代さんのバレリーナ―時代の魅力は何と言っても、恵まれたプロポーションに加え、努力を積み重ねて身に付けた確かな技術です。
その表現力は高く評価され、日本のバレエ界を間違いなく引っ張って来られた方でしょう。
しかし、素人から見ると、バレリーナ―の方、全員がすばらしい実力を持っているように見えるのですが、バレエ経験者や詳しい人から見た民代さんの実力が気になったので調べてみました。
すると、こんな意見がちらほら・・・
テレビなどでは草刈民代さんを”世界的ダンサー”と紹介していますが、バレエ界では認識がすこし異なるようです。
日本の1バレエ団でならプリマになれるくらい。としか言いようがないですね。それが実績だから。 残念ながら、海外バレエ団でソリストを務めるほどの実力はなかったでしょう。怪我に悩まされたとはいえ、アンデオールが甘く、膝が伸びきっていないときがあるというのは致命的だと思います。 今でこそ実力で世界に羽ばたく日本人ダンサーも数多くいますが、彼女がプリマになった時代、日本のバレエ団においては経済力も実力のうちでしたから、親御さんの支援も大きな力になったと思います。
バレエの基礎では、股関節から脚全体を、左右共、外向きに回す必要が有るのですが、 日本人の脚(特に女性)は、そういう事が出来る人が、大変に少ないのです。 そして、脚は真っ直ぐで、足首が柔らかくて、甲が出る足が理想なのですが、 そういう脚&足の持ち主も、日本人には、とても少ないのです。 残念ながら、彼女の脚&足は、バレエ的な理想からは、かけ離れたものなのです。 少なくとも『プリマ』の地位で、彼女レベルの人は有り得ません。 テクニックもそうですが、それ以前のメカニックに問題が有るとは、そういう意味です。
実力がどうこうというのは、確かに主観も入ると思いますから断言はむずかしいと思います。 ただ、以前見た時の私個人の印象では、主役を踊るプリマとしてはうまい方ではなかったです。たぶん私は彼女が出演するバレエはもう見ないですね。 マスコミがいうところの「世界的プリマ」とか「超一流」というレベルでないのは確かだと思います。
また、ある日のヤフー知恵袋では、
吉田都さんと草刈民代さんは、現役時代はバレリーナとしてライバルだったのですか? 個人的には、長年ロイヤルバレエのプリマだった吉田さんのほうが、国際的な評価もバレリーナとしての実力も 上だと思っているのですが。
と言う質問に対し、このような回答がベストアンサーに選ばれています。
ライバルにもなりません。 吉田都さんの方が圧倒的に実力が上です。 都さんは実力ありきの主役です。 草刈さんはお金を払って海外のバレエ団をコールドにつけて主役をしていました。 バレエを知っている人なら一回踊りを見ればすぐわかります。
上記に関して補足すると、2人の実力の差を図られる時に用いられるローザンヌという国際バレエコンクールでの結果で、その差を知ら閉められてしまったいうのです。
吉田都さんは、決勝まで進みスカラシップ賞受賞しているのに対し、草刈民代さんは予選落ちした事から、実力でプリンシパルを勝ち取った吉田都さんと、親御さんのお金の力でプリンシパルの機会を得た草刈民代さんというのが、世間の評価のようです。
上記をまとめるとつまり、草刈民代さんのバレエの技術の評価については賛否両論で、バレエに詳しい人から見た多い意見の1つに、草刈民代さんの脚&足は、バレエの理想的な脚ではないと言われています。
そして上記の人が言っているように、日本のバレエ団であればプリマになれるくらいの力はありますが、海外バレエ団でソリスト(一人、または二、三人で踊る踊り手)を務めるほどの実力はなかったというのが世間の評価のようです。
親御さんのお金の力というのは、草刈民代さんの父親・草刈龍平さんは中央精版印刷株式会社社長で、バレエ団に惜しみなく様々な支援をしてきた事から、主演に抜擢されていたなどと噂されていました。
支援が事実かどうかは定かではありませんが、いずれにしても、はしにも棒にもかからない程の実力であれば、いくらお金を積んでも、プリマや重要なポジションを与えられるはずはなく、間違いなく、草刈民代さんが長きに渡り、努力を積み重ねて成長されてきた結果と、やはり生まれ持った華がプリンシパルを勝ち取った理由だと思います。
華も才能のうちなんですよね。
草刈民代 バレリーナとしての海外での評価は?
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バレエ団の中でも最高位のダンサーでもある『プリンシパル』は、実力と華やかさ、そして美貌を持ち合わせたものだけがなれます。
日本で『プリンシパル』を務める経験を持つ草刈民代さんは、現役時代、海外公演にゲスト出演をしていました。
海外でも、スターのダンサーが少ないバレエ団は、公演の際にゲストを呼ぶことがあるそうです。
当時の実力についてわかるエピソードを草刈民代さんがこのようにお話されています。
招かれる時は、常に一人旅。言葉も分からない国で、緊張と不安で押しつぶされそうな中、常に「負けちゃいけない」と気負っていました。当時の日本人ダンサーのイメージは、「バレエ後進国から来た人」。私にもその自覚はある。でも、同じ舞台で踊る以上は負けたくない。日本人として恥ずかしくない踊りをしたい。どんな環境でも踊れるように、食事も生活スタイルも、自分の嗜好やこだわりは一切捨てました。
嫌がらせをされたこともあります。後に13年間にわたって共演したレニングラード国立バレエ団で、初めて踊ったときのこと。本番中に私がソロで回転していると、周りに立っていた群舞のダンサーたちがくすくすと笑い始めたのです。一瞬焦りました。でも、翌年から一切なくなった。そうできないようなたたずまいになっていたのでしょう。実力主義の世界では、こんなにも分かりやすく人の態度に表れるのです。
※日経ウーマン
実際に、草刈民代さんは、引退する時、
ある程度プロフェッショナルと言える活動をしている人はいますけど、やっぱり外国とはあり方が違うので、そこで(日本の環境で)自分が成長していこうと思うとすっごいたいへんですね。』
と語っています。
このお話から『日本のレベルは海外に通用する人はほとんどいない・ごくわずか』ということがわかります。
さらに、インタビューで本人が自分の実力を「外国人のなかに入っても『白鳥の湖』をぎりぎり踊れるクオリティー」だったと明かしている事から、草刈民代さんのバレエの実力は、日本では評価されていますが、海外では高い評価ではないという事なのでしょう。
草刈民代 バレエ引退理由は?
草刈民代さんは、2009年4月24日、自身がプロデュースも兼ねた公演『エスプリ〜ローラン・プティの世界〜』でバレリーナとしての現役を引退しています。
『プリンシパル』まで勤めた草刈民代さんはなぜあのタイミングで引退を考えたのでしょうか。
8歳の頃にバレエを習い始め、10代半ばでプロの道へ進み、36年という間バレエ一色の人生を歩んできた草刈民代さん。
草刈民代さんが人生を捧げてきたバレエを引退した理由は、ズバリ体力の限界がきたからのようです。
「もう、“白鳥(の湖)”は、踊れない」
そう感じたのは41歳のとき。いつも通りジャンプしているつもりなのに、体が浮かない。数年前に左足に負ったケガが完治せず、身体のバランスがどんどん崩れてくる。年齢とともに、体の限界を確実に感じていました。
日本では、古典作品が踊れなくなると舞台に立つ機会が極端に減ります。21歳から150回以上踊ってきた『白鳥の湖』が完全に踊れなくなったことを悟ったとき、引退を決意。
※日経ウーマン出典
古典の解釈を広げたドラマ性の高い表現を得意だった草刈民代さんが、古典作品に身体が付いていかなくなったことが、引退を意識する大きなきっかけとなったようですね。
草刈民代さんの、引退を追ったドキュメンタリー番組で、引退を決めた時の心境をこのように明かしています。
『古典者を踊るのはもうやめよう。ただこの先何をやっていこうかと思って、今まで踊ってきて一番が躍るのに自分にふさわしいものを踊るのも一つの考えなんですけど、具体的に何がやりたいか出てこなかった。もしかしたら今まで踊ってきて、ここまできた中で、自分ができることって、もしかしたらやっちゃったのかもしれないって思うようになっちゃったんですよ。
そしたら、私は、踊るのはここまでって決めていいなって納得しちゃったんですね。』
また、草刈民代さんが現役引退を意識し始め、その後の人生は『女優として表現をしていこう』とイメージ出来た事も、引退する気持ちの後押しになったようですね。
草刈民代さんは、映画『Shall we ダンス?』で主演を務めた経験から「芝居をやってみたい」と思うようになりました。
バレエとは全く違う人生ではありますが、表現と言う部分での共通点がありました。
「踊りとは違う世界で、どこまでできるか挑戦してみたい。」
そんな意欲がふつふつと湧き、44歳の時に、36年間続けてきたバレエ人生の幕を閉じ、女優としての道を歩き始めました。
やはりその部分で言うと、映画監督である旦那さんの存在は、女優転身への心強い存在だったに違いないでしょうね。
草刈民代に子供がいない理由は?旦那(夫)周防監督との馴れ初めは勘違いで夫婦仲をまとめ |
旦那さんとの出会いや子供さんについては別の記事でご紹介していますので、ご興味がある方はそちらも読んでみてくださいね♪
草刈民代のバレエの実力や海外の評価は?バレエを引退した理由 まとめ
いかがでしたか。
草刈民代さんのバレエ界での実力について、海外や詳しい人の評価を調査してみました。
草刈民代さんのバレリーナとしての評価は、厳しい見方をする人も多かったようですが、間違いなく、日本のバレエ界の中で功績を残したダンサーである事は間違いないでしょう。
そして、唯一無二の存在感と、生まれ持った華は、誰にも真似する事ができない才能の1つだと思います。
また社会的ブームとなった映画「Shall we ダンス?」では、多くの人がの草刈民代さんの美しさに魅了されました。
あの映画を見た人が草刈民代さんに憧れて、バレエや社交ダンスに興味を持ち、習い始めた人もいらっしゃったのではないでしょうか。
つまり、これだけのバレエ界に爪痕を残した草刈民代さんは、かなり実力者だと思いました。
これからもその凛とした美しさを、彼女にしか出せない表現の世界で、多くの人に感動を与え続ける事でしょう。
マイベストフォーユーは、そんな草刈民代さんの活躍を応援してまいります。
という事で最後までお読みいただきありがとうございました。