長寿番組「新婚さんいらっしゃい」の第8代アシスタントを務めたり、バラエティ番組にひっぱりだこのタレント・井上咲楽さん。
デビュー当時は太眉がトレードマークで話題になりましたね。
眉毛を整えるようになってからは、グラビアの仕事が入るようになり活動の幅を広げています。
また、幼少期は実家で自給自足生活を送っていたことや、昆虫食マニアである一面、マラソンで3時間38分を記録など、井上咲楽さんは個性が際立っています。
キャラが濃いイメージの井上咲楽さんですが、どんな学生生活を送っていたのか、気になるところです。
そこで今回は、井上咲楽さんの学校や、学生時代のエピソードについて調査しましたので、まとめていきます。
井上咲楽は幼稚園と保育園どっちに通っていた?小学校はどこ?
井上咲楽さんは、栃木県田岡市内の幼稚園に通っていたことが判明しているものの、幼稚園名までは判明していません。
幼稚園時代にEテレに出ている子供達を見て、「私もこの子達のような特別な子になりたい」と考えるようになり、芸能界に憧れるようになったそうです。
芸能界への憧れを持ったのが幼稚園児の頃というのは、かなり早いように思います。
2006年3月に卒園後、益子町にある田野小学校に入学しました。
小学1年生の秋頃に、現在の実家に引っ越しています。
小学生の頃は、言いたいことが言えず、ずっと本を読んでいるような性格だったそうです。
今の井上咲楽さんを見ていると、引っ込み思案な性格をしていたのは想像がつきませんよね。
小学1年生から6年生まではそろばん、小学2年生から6年生までは空手を習っていました。
井上咲楽さんは小学生時代、習い事に忙しい日々を送っていたようですね。
またこの頃から足が速かった井上咲楽さんは、シャトルランが大好きだったようです。
小学生時代の井上咲楽さんは、読書ばかりしていたためシャトルランが得意そうには見えなかったのでしょう。
シャトルランで頑張ることで、自己顕示欲を満たしていたことに大人になってから続いたようです。
”私のキツそうな顔を見て、普段ほとんど話さない人までこちらに注目してくれるのだ。”
“「え?井上が残ってる?井上ってあんなに走れるの?」ヒソヒソとそんな声が聞こえた時の快感と言ったら。脳汁が溢れ出す。”
引用:note
この考え方に関して、井上咲楽さんは「かなりイタイやつだった」と語っています。
幼稚園時代には芸能界に憧れていた井上咲楽さんが、シャトルラン以外で注目を浴びることが無かった小学生時代を送っていたのは意外ですね。
井上咲楽はどこの中学校に通っていた?眉毛が原因でまさかの職員会議!?
井上咲楽さんは益子町の田野中学校に入学しています。
井上咲楽さんは中学生時代、小学生から一転して陽キャになったそうです。
中学時代はバレーボール部に所属しています。
「小学生の時は暗い性格だったが、中学でバレーボール部に入り、明るく前向きになった」
引用:讀賣新聞オンライン
バレーボール部員はリーダーシップがあって元気な人たちが多かったことから、井上咲楽さんも影響を受けていったと語っています。
学級委員を担当したり、応援団の副団長を務めたりとかなり充実した学生生活を送っていました。
益子中学校で行われたトークショーでは、中学生時代に彼氏がいたことも明かしていました。
そして周囲には、「芸能界に入る」とことあるごとに豪語していたそうです。
この宣言を周囲は本気で受け止めていたかどうか分かりませんが、現在の活躍をみて中学校の同級生はびっくりしているのではないでしょうか。
中学校では、井上咲楽さんのトレードマークだった太眉について、まさかの職員会議の議題に上がってしまったそうです。
中学校の校則では眉毛を剃ってはいけないことになっていました。
同級生は先生にバレないように剃る術を身に着けていたものの、井上咲楽さんの眉毛は剛毛過ぎて剃った部分が青くなってしまうため、先生にバレてしまうのです。
そのため自身の眉毛については気に留めないようにしていましたが、先生から「井上の眉毛は特殊だ」と思われるようになっていきます。
そして、井上咲楽さんのクラスを受け持っていた先生が、
「学校の先生が職員会議で『井上咲楽の眉毛は、あまりにもちょっと太いので、真ん中(眉間)まで生えてるから(担任の)私が剃ってあげてもいいですか?』って」
引用:モデルプレス
と、全員の先生の許可をとったうえで、眉間の部分だけは先生に剃ってもらっていたようです。
眉毛が太くても、このような対応をされた人はなかなかいないと思いますが、田野中学校の先生たちは臨機応変な対応ができる人たちが揃っていたように感じました。
井上咲楽が通っていた高校はどこ?大学には進学した?
井上咲楽さんは田野中学校を卒業後、栃木県立茂木高等学校に進学しています。
高校1年生の秋に、第40回ホリプロタレントスカウトキャラバンでソフトバンク賞を受賞したことで芸能界入りを果たしました。
田野中学校では明るい性格だった井上咲楽さんでしたが、高校では再び暗い性格に戻ってしまいます。
“小中学校の9年間、周りにいる子はほとんど同じでした。それが高校に入ったら知らない子だらけ。最初の自己紹介で滑って「あ、自分は違う。場所が違う」って思って、暗い子に戻りました。”
引用:Webun+
あまり話さないために人間関係が構築できず、中学校で仲が良かった人も話してくれなくなり、悪口を言われることがあるなど、辛い時期を過ごしたそうです。
高校生活に悩んでいる時に救ってくれたのが、一緒に仕事する大人たちでした。
悩んでいることを打ち明けたところ、
「すぐ卒業するんだから、どうでもいいでしょ。それでメンタルが影響されているほうが、人生にとって損だから」
引用:Webun+
と言われたそうです。
人間関係で悩んでいる人に対して、かなり響く言葉ではないでしょうか。
井上咲楽さんはこの言葉を受けて、自分の悩みの小ささに気付き楽になったそうです。
高校の卒業式は単位取得が間に合わなかったのか、1人卒業式となった井上咲楽さんですが、
“「オーディション受けていいよと許可した責任があるから」と最後まで足りない単位の補修を受けさせてくれた理解ある先生方 ありがとうございました”
引用:X
と投稿していた為、先生との関係もよかったのでしょう。
また、クラスメイトも井上咲楽さんも1人卒業式のために集まっていた為、卒業する頃には人間関係も改善しているようですね。
高校卒業後、2018年に慶応義塾大学受験に挑戦しましたが、残念ながら不合格。
現在大学に関する話は出ていないため、浪人もしていないと思われます。
仕事に多忙な日々を送っているため、大学受験どころではなくなっているのかもしれません。
井上咲楽は小学校と高校では暗い性格、中学のみ明るい性格だった!大学には進学していない!
井上咲楽さんは幼稚園の頃から芸能界に憧れを抱いていました。
田野小学校ではシャトルランの時のみ注目され、それ以外は引っ込み思案な性格の子供だったようです。
小学生時代は空手とそろばんも習っていました。
中学ではリーダーシップがあり元気がいい人が多いバレーボール部に所属しています。
部員たちの影響を受けて井上咲楽さんの性格も明るくなり、学級委員になったり、応援団の副団長になったり、恋愛を楽しんだりとかなり充実した中学時代を送りました。
しかし、高校では最初の自己紹介ですべってしまったことから、暗い性格に逆戻り。
高校1年生秋から芸能界入りしていたものの、学校では人間関係が上手くいかなくなってしまいました。
芸能活動の関係か高校では1人卒業式となってしまいましたが、クラスメイトが駆け付けてくれたため、卒業する頃には人間関係は改善していたようです。
井上咲楽さんは2018年に慶応義塾大学を受験したものの不合格となり、大学には進学していません。
もう少し仕事が落ち着いたら、大学受験再挑戦の話も出てくるかもしれませんね。
最後までご覧いただきありがとうございました。