市原隼人さんは、数多くの映画やドラマに出演し続け、現在も第一線で活躍している実力派俳優です。
幼少期から父親の影響で空手や器械体操、水泳を習っていたことで体を動かすことが好きになり、2024年にインスタグラムで筋トレ中の写真を投稿した際は、37歳とは思えない肉体美に多くのファンを驚かせました。
ボクシング経験もあるため、激しいアクションを披露したこともあります。
数多くの役柄をしっかりとこなし、両親愛を感じさせる発言もしておりとてもクリーンなイメージがある市原隼人さんは、どんな学生時代を送っていたのか気になるところです。
今回は、市原隼人さんの通っていた学校や、学生時代のエピソードについて調査しましたのでまとめていきます。
市原隼人の学歴・出身校一覧
小学校 | 川崎市立坂戸小学校 |
中学校 | 川崎市立高津中学校 |
高校 | クラーク記念国際高等学校 |
それでは学生時代ごとに、詳細をみていきましょう!
市原隼人の学歴①小学校はどこ?給食のエピソードが微笑ましすぎる!
市原隼人さんは通っていた小学校を公開していませんが、神奈川県川崎市出身であることを明かしていることから、実家の位置から川崎市立坂戸小学校に通っていた説が有力です。
市原隼人さんは、小学校の頃から空手や器械体操、水泳を習っており、公式インスタグラムでは小学生の頃の将来の夢について、
「警察官。水泳の選手。器械体操の選手。プロレスの営業マン(笑)」
引用:インスタグラム
とインスタグラムに投稿したことがあります。
プロレスの営業マンが将来の夢に上がった理由は、プロレスが好きだったものの体が小さかったためプロレスラーにはなれないと考えた小学生時代の市原隼人さんが、プロレスに関わる仕事をしたいと考えた結果だそうです。
小学生にとは思えない大人な理由で、将来なりたい職業を挙げていたようですね。
市原隼人さんは、映画・ドラマ「おいしい給食」で給食を愛してやまない教師役を演じており、「おいしい給食」と企業とコラボして開催されている「わたしの『おいしい給食』コンテスト」で、受賞した小学校に訪問することがあります。
訪問した際、給食に関するとても微笑ましいエピソードを語りました。
「班になって食べるとき、好きな子の前で食べたいから(友達に)『ちょっと席替わって』と頼んだりしました」
引用:ORICON NEWS
小学生の頃、やったことある人はいるのではないでしょうか?
周りから冷やかされそうですが、市原隼人さんも一般の小学生と同じように恋していたことを思うと親近感が沸きますね。
友人たちと探検やたかおに、石蹴りで遊んだり、駄菓子屋に寄ったりしており、道端がテーマパークのように楽しかったそうです。
遊ぶのが楽しすぎて、ランドセルを忘れて帰ったこともあるとか。
市原隼人さんは小学5年生の頃、父親と映画を見に渋谷に出かけたところ芸能界にスカウトされています。
しかし、将来の夢がスポーツ関係だった市原隼人さんにとっては、芸能活動は嫌で仕方なかったそうで、
「なんで、友達は遊んでいるのに、この芝居しなきゃいけないんだろうって、今思えば、その理由がわかっていなかったからでしょうね」
引用:THE CHANGE
と語っています。
確かに小学生は遊び盛りですから、いきなり友達と楽しく遊んでいた生活から仕事に追われる生活になって嫌になる気持ちも分かりますね。
市原隼人の学歴②中学校はどこ?
市原隼人さんが通っていた中学校は、川崎市立高津中学校です。
中学時代はバスケットボール部に入り、芸能活動も並行して続けていました。
中学時代も将来の夢は小学生の頃と変わりませんでした。
しかし、芸能活動に中学生の頃転機が訪れます。
中学3年生で、映画「リリイ・シュシュのすべて」で初主演を勝ち取ったのです。
市原隼人さんは若い頃、俳優の仕事が嫌すぎて反発したことがあり、
「撮影現場に行きたくなくて、マネージャーが車から出た途端にドアを閉めて、車中に引きこもって「現場に行きたくない」と反抗したりして(笑)」
引用:ハルメク365
と語っています。
この頃の経験か、映画「おいしい給食 Road to イカメシ」のヒット記念舞台挨拶に登壇した際は、共演する子役への気遣いを語っていました。
「大人の都合で仕事させるの大嫌いなんです。だから来たくなるような現場づくりを心掛けているんです」
引用:Yahoo!ニュース
市原隼人さんは、「リリィ・シュシュの全て」でスタッフに恵まれたおかげで、俳優の仕事が好きになれたそうです。
だからこそ、俳優の仕事を嫌がっていた頃の自分と同世代の子役たちには、仕事を好きになってもらえるよう努力しているのでしょう。
市原隼人が通っていた高校はどこ?大学には行っている?
市原隼人さんが通っていた高校はなんと3つあります。
- 日本工業大学駒場高等学校
- 堀越高校
- クラーク記念国際高等学校
最初に通っていたのは、日本工業大学駒場高等学校です。
東京の私立男子校であることから、この頃から上京していたと考えられます。
ただ、高校の頃の市原隼人さんは多忙を極めており、映画出演こそ2003年に「陰陽師Ⅱ」に出演して以降、2006年に公開された「チェケラッチョ!!」で主演を務めるまで間が空いているものの、ドラマにはどんどん出演していました。
そのため出席日数が足りず卒業できなくなります。
市原隼人さんが多忙になるのを、本人や事務所も把握していなかったのかもしれません。
そのため、次は芸能人御用達である堀越高校に通うことになりました。
堀越高校にはトレイトコースというものがあり、芸能活動が忙しく出席日数が不足した場合、進級や卒業の為にサポートしてくれる制度があります。
その制度があるにも関わらず、市原隼人さんは堀越高校でも卒業できませんでした。
学校がサポートしてもどうにもならないほど、出席日数が足りなかったのだと思われます。
それほど市原隼人さんは芸能活動に多忙な毎日を過ごしていたと言うことでしょう。
最後に通った学校は、クラーク記念国際高等学校です。
クラーク記念国際高等学校は全日制コースもありますが、市原隼人さんの場合芸能活動に追われていたことを考えると、登校は月1~2度で済み、ほとんどを自宅学習で卒業を目指す単位習得コースに在籍していた可能性が高そうです。
とはいえ、自宅学習を続けるのはモチベーションも必要なので、市原隼人さんはどうしても高校を卒業したかったのだと思います。
もしかしたら、両親から「高校だけは卒業してほしい」とお願いされたのかもしれません。
卒業年は不明ですが、OBとして書籍「クラーク記念国際高等学校 by AERA」内でインタビューも掲載されているため、卒業しているのは確かです。
一般人には考えられないような高校生活を送った市原隼人さんですが、この経験があったからこそ根気強く俳優活動にも精を出せているのかもしれませんね。
高校時代でここまで多忙だった市原隼人さんは、大学には進学していません。
学歴のまとめ:市原隼人は小学5年生の時にスカウトされた!中学時代に映画初主演!高校は2回も転校している!
では今回のまとめです。
- 市原隼人さんは、川崎市立坂戸小学校に通っていたと思われます。
- 給食の時は、好きな人と一緒に食べたいという理由で友人に席を替わってもらったり、友人と遊ぶのに夢中でランドセルを忘れて帰ってしまったりと、親近感が沸くような小学生時代のエピソードが多いです。
- 小学5年生の時に父親と映画を見に行った際、スカウトされて芸能界入りしました。
- ただ、小さい頃から将来の夢が水泳選手や警官、器械体操の選手など体を動かす職業に就きたかった市原隼人さんは、最初芸能活動が嫌で仕方なかったそうです。
- 転機は中学3年生に映画「リリィ・シュシュのすべて」で初主演したことで、撮影現場でスタッフに恵まれたため俳優活動が楽しく思えるようになりました。
- そのため、子役たちには俳優の仕事が楽しいと思ってもらえるよう、明るい雰囲気を作るよう現在も心掛けています。
- 市原隼人さんは仕事が多忙だったために出席日数が足りなかったという理由で、高校時代に2度も転校しています。
- 最終的に、クラーク記念国際高等学校を卒業していますが、卒業年は不明です。
- あまりに多忙であれば高校を中退しても、俳優として生活し続けられたでしょう。
- しかし、市原隼人さんはどうしても高校は卒業しておきたかったのだと思います。
大学には進学していませんが、ドラマ「ROOKIES」以降出演作はかなり増えていっているため、俳優のキャリアとしてのキャリアを成功させるためには、良い選択だったと感じますね。
最後までご覧いただきありがとうございました。