こんにちは!あいです。
アイドルグループ関ジャニ∞のメンバーで、俳優としても活躍する横山裕さん。
明るいキャラクターが人気ですが、生まれ育った家庭の環境では、両親の離婚、母の再婚、再び離婚をされていて、とても苦労された事でも知られています。
テレビに出ている明るい姿からは想像もできないような、壮絶な生い立ちを、かつてテレビ番組が追い、ドキュメンタリーとして放送された時は、驚いた人も多かったことでしょう。
そんな背景もあり、その分、年の離れた弟さんたちとはとても仲がよいようです。
この記事では、横山裕さんの家族構成や父や母について、そして弟さん達とのエピソードまでを、生い立ちと共にご紹介します。
ぜひ、最後までお読みくださいね!
横山裕の家族構成まとめ
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横山裕さんの家族構成がこちらです。
・母が再婚した相手の父親
・母親
・横山裕さん
・6歳年下の弟【父親違いの弟】
・8歳年下の父親【父親違いの弟】
それでは、詳しく見ていきましょう。
横山裕の実の父親と母親は離婚をしている
横山裕さんの両親は、横山裕さんが3歳の時に離婚をしています。
かつて「NHKスペシャル『令和家族 幸せ探す人たち』」で、横山裕さんが壮絶な生い立ちを告白していて、「車の中で父親と母親が別れ話をしていたことを鮮明に覚えている」と言っていました。
海岸近くの工場があるところで、両親が車の中で離婚の話をしていて、横山裕さんはそれを後部座席で聞いていたそうです。
子供の頃の一番の思い出がその日の事だといいます。
離婚の原因はわかっていませんが、親権は母親が持ち、それ以降、実の父親には会っていないようです。
母親にとって、息子を父親に会わせたくない何かがあったのかもしれませんね。
円満離婚ではなさそうですね。
横山裕の義理の父親はどんな人?
実の父親と離婚した2年後、5歳の時に母親は横山さんと言う男性と再婚をしています。
横山裕さんの苗字は、再婚相手の苗字だったのですね。
「今日からお父さんと呼びなさい」という義理の父親を、どうしてもお父さんとは呼べなかった事から「はよ、呼べ!」とどつかれた事もあったそうです。
その後、横山裕さんはあまり記憶がないそうですが、「義理の父親になじめなかったようで、団地の2階上に住む祖父母の家で暮らすようになりました。」と語っています。
おそらく、義理の父親にとって、母親の連れ子だった横山裕さんを可愛いとは思えなかったのではないでしょうか。
そんな背景から横山裕さんは、祖父母の元で暮らすようになります。
横山裕さんが6歳の時と8歳の時に、母親と義父の間に子供ができました。
弟たちとは別々に暮らしていたので最初はそれほど面識がなかったものの、横山裕さんが中学校2年生の時に祖父が他界し、再び、母親と義理の父親と一緒に住むこととなりましたが、ここからが本当の辛い日々の始まりでした。
義理の父親の怒号に耐える生活が続き・・・
義理の父親との生活を『奇妙な生活』だったと表現する横山裕さん。
ラジオでは棒で殴られたエピソードを明かしていたので、その事と何か関連があるのかもしれませんね。
そして当時、母親はよく泣いていて、義父の怒号が聞こえていた時もあったと言います。
母親は最初は幸せだったかもしれないけど、やっぱだんだん辛そうでしたよ。(義父を)あまり悪くは言いたくないけど、母親はよく泣いていたし、怒号がすごい聞こえていた時もあったから。
ラジオではその他にも度々、父親の愛のない言動について語られています。
横山裕さんは義理の父親を「あのおっさん」と呼んでいて、あるクリスマスの日に、クリスマスプレゼントがなかった弟たちが泣いていたので、「なんであげへんねん!」と義理の父親へ言ったら、「家庭の事情でありません」と言われたそうです。
義理の父親は、実の子供達への愛も希薄だったようですね。
いわゆる男としてダメ男ってやつでしょう。
これは明らかに、母親の男性を見る目に問題を感じるのですが・・・(;^ω^)
中学を卒業後の、高校進学のタイミングで、義理の父親が横山裕さんの進学を許さず、働いて稼げと言われた事から横山裕さんは、中学校を卒業するとジャニーズ事務所としての活動の他、建築現場で働き始め、家計を支えていました。
中学生の時に母親が履歴書を送った事からジャニーズに入所した横山さんですが、レッスンや仕事現場へは作業着で行っていたそうです。
「みんな高校に通っていたけど、僕はもう働いていたんですよ。建設業で。みんな現場までは制服で来たりしていたんですけど、僕は働いているから作業着で行っていたんです。そしたら事務所の人に『お前そんなんで来んな!一応、夢売る仕事やねんから』って言われて(笑)。だから僕は駅着いたらトイレで私服に着替えて、テレビ局着いたらレッスン着に着替えて。人より着替え1回多かったです(笑)」
明るく笑いに変えてしまうところが、健気ですね(/ω\)いいこや~。
その後、母親も目が覚めたのでしょう、16歳の時に母親は弟2人を引き取って義理の父親とも離婚をしたそうです。
しかし、母親の生活は苦しく、弟たちは施設へ預けられる事となり、兄弟はバラバラになってしまいました。
横山裕の母親はどんな人?
死因は虚血性心疾患で、50歳という若さでした。
母親は横山の全国ソロツアーの最中、青森公演(10年5月16日)の当日に急逝した。亡くなる直前には、4月3日の大阪城ホール公演を観に来てくれていたそうで、「最後、大阪城ホールでの姿を見せてるんです。それがよかったです」。訃報を聞いた後の青森公演は中止せずに開催。「お客さんにはバラしたらいかんと思って…」と母の死を伝えずにいたが、公演中、母を思って作詞した楽曲「オニギシ」を歌いながら「涙出てもうて」と観客に背を向けて号泣したことを、涙を流しながら明かしていた。
ソロコンサートの青森公演のステージ直前に、母親の死を告げられた横山裕さんは、コンサートの中止をスタッフから提案されましたが、「来ていただいているお客様には関係ない事ですし、絶対にバラしたらいかん」と思い、予定通り開催しました。
コンサート中は気丈に振る舞っていた横山裕さんですが、母親をテーマに横山さんが作詞した曲「オニギシ」をライブのクライマックスで歌うと、涙が止まらなくなっていました。
観客に何とかバレないようにと、背を向けて号泣しながら唄っていた姿を見たお客さんは、わけがわからず戸惑っていた人も多かったようです。
オニギシ①
泣く。
横山裕の生い立ち(?)を知ってから見るともっと泣ける。#かばおくん加工 pic.twitter.com/8R7Zt2yNhS— かばおくん (@NKHJKABA) February 12, 2017
横山裕さんが作詞した「オニギシ」は、女手一つで育ててくれた母親への思いを綴っていて、幼い頃、おにぎりと言えず 「オニギシ」と呼んでいた事から曲名が「オニギシ」になっているようです。
「オニギシ」。
そんな僕もいつしか大人になってたよ
でも お母ちゃんにとってはいつまでも子供なんだね。
小さい時の僕って オニギリって言葉も
ろくに言えなかったね。
いつも いつも オニギシって言ってた
女手一つで 育ててくれたお母ちゃん
そのせいか 僕の幼い頃の夢って
ボク、お母ちゃんと結婚すんねん!!
そんな僕もいつしか大人になってたよ。
でも お母ちゃんにとってはいつまでも子供なんだね。
お母ちゃんの生き方 “頑張るコト”
僕は頑張るを 精一杯 ガンバッてるよ。
あの時のコト 覚えてるかな?
僕が友達に裏切られてくやしがってる時。
裏切られた自分をくやむなら
信じた自分を褒めなさいって言ってくれた言葉。
でも その後 友達をどなり散らしたね。
お母ちゃん 僕は何してあげれた?
優しかった? もっと一緒に笑いたかったな
でも もうそれも遅いやんな。
お母ちゃんは楽しかったんかな~?
やっぱり僕、オニギリじゃなくて・・・オニギシが食べたいねん!
オニギシが食べたいよ。 オニギシしかだめなんだよ。
ちょっとしょっぱいオニギシを作ってよ。
オニギシが食べたいよ。 オニギシしかだめなんだよ。
生まれ変わったらまた オニギシを作ってね。
やっぱり オニギシ。
オニギシ おいしいねん
母は料理が下手だったとラジオでも明かしていた横山裕さんですが、母親が作ったおにぎりは世界で一番美味しい料理だったのではないでしょうか。
母親から子供達への愛はとても深く、母は、生前、横山裕さんの中学校の担任の先生に「先生、見たって! こんだけもらえるようになったんよ!」と、横山裕さんの給与明細を持ってきて見せてくれたことがあったそうです。
その時の母親はとてもうれしそうにしていたと、当時担任だった先生から聞かされ、初めて知った横山裕さんは、番組で涙していました。
きっと、母親は今の横山裕さんの活躍を天国で一番喜び、お友達に自慢していることでしょうね(/ω\)泣ける・・・
横山裕の弟とのエピソード
横山裕さんには、父親違いの2人の弟さんがいらっしゃいます。
次男 6歳下の勤(つとむ)さん
三男 8歳下の充(みつる)さん
実は母親は、横山裕さんが23歳で関ジャニ∞(エイト)としてデビューした後くらいに、癌をわずらった事がありました。
その時に横山裕さんは「僕がしっかりしないと弟たちの将来がむちゃくちゃになる。2人が独り立ちするまで支えなければ」と心に強く思ったそうです。
次男の勤さんは、高校卒業後に就職しましたが、三男は大学進学を希望したので、学費は横山裕さんが出してあげたそうです。
なんて頼もしい兄なのでしょう( ;∀;)
そして三男の充さんは京都産業大学を卒業後、法政大学会計大学院に進み、税理士になるための勉強をしていたそうです。
現在は税理士になられたかは定かではありませんが、立派に働かれている事と思います。
弟の勤(次男)はショックで記憶喪失になった
母親が亡くなり、葬儀から1週間後に次男が突然倒れ、記憶喪失になってしまったそうです。
「おかんがなくなった時こいつが一番気丈に振る舞ったんですけど、そのときに涙も出なかった弟が、ばっと倒れた」
弟は「周りの人が、お母さん死んだって言ってる…」と、母親の死にまつわる2年ほどの記憶が、全くなくなってしまったそうです。
こんな韓流ドラマみたいなことって実際にあるんですね、
記憶をつかさどる海馬は、生きるために辛すぎる事は忘れるようにできていると聞いた事がありますが、弟さんにとって、母の死は、受け入れる事ができない程、とても辛いことだったのでしょう。
この後、横山裕さんは大阪に弟たちを呼び寄せ、3人で一緒に住みはじめました。
弟さんの状態も徐々に回復し、2017年弟さん(次男)は結婚もされ、元気にすごされているようです。
次男の結婚式では、父親変わりになってくれた兄への感謝の手紙を読み上げられ、その後サプライズで披露したトランペットが、感動のあまりうまく演奏できなくなってしまったのだとか(*’▽’)微笑ましいエピソードですね。
次のページは、イケメンの弟さんの画像をご紹介します。